・・・おどろおどろ神々の怒りの太鼓の音が聞えて、朝日の光とまるっきり違う何の光か、ねばっこい小豆色の光が、樹々の梢を血なま臭く染める。陰惨、酸鼻の気配に近い。 鶴は、厠の窓から秋のドオウンの凄さを見て、胸が張り裂けそうになり、亡者のように顔色・・・ 太宰治 「犯人」
・・・ 窓の下から三間とはなれぬ往来で、森田屋の病院御用自動車が爆鳴する。小豆色のセーターを着た助手が、水道のホーズから村山貯水池の水を惜気もなく注いで、寝台自動車に冷たい行水を使わせている。流れた水が、灰色のアスファルトの道路に黒くくっきり・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・左のほうには小豆色の東京駅が横たわり、そのはずれに黄金色の富士が見える。その二つの中間には新議会の塔がそびえている。昔はなかったながめである。百年前に眠ったままで眠り通し、そうして今この窓で目ざめたとしたら……。いつもこんなことを考えながら・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・ 一つ一つの葉が皆薄小豆色をして居て、ホッサリと、たわむ様にかたまった表面には、雨に濡れた鈍銀色と淡い淡い紫が漂って居る。 細い葉先に漸々とまって居る小さい水玉の光り。 葉の重り重りの作って居る薫わしい影。 口に云えない程の・・・ 宮本百合子 「雨が降って居る」
・・・女らしいペン字の上に細かい更紗飾りを撒いたように濃い小豆色の沈丁の花が押されていた。強い香が鼻翼を擽った。春らしい気持の香であった。「私もこの花は好きよ」「いいでしょう?」 千鶴子は前垂れをかけたまま亢奮して飛び出して来た、その・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
出典:青空文庫