・・・ こう云って、一座を眺めながら、「何故かと申しますと、赤穂一藩に人も多い中で、御覧の通りここに居りまするものは、皆小身者ばかりでございます。もっとも最初は、奥野将監などと申す番頭も、何かと相談にのったものでございますが、中ごろから量・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・これすなわち宗祖家康公が小身より起りて四方を経営しついに天下の大権を掌握したる所以にして、その家の開運は瘠我慢の賜なりというべし。 左れば瘠我慢の一主義は固より人の私情に出ることにして、冷淡なる数理より論ずるときはほとんど児戯に等しとい・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・一族の知行を合わせてみれば、前に変ったことはないが、本家を継いだ権兵衛は、小身ものになったのである。権兵衛の肩幅のせまくなったことは言うまでもない。弟どもも一人一人の知行は殖えながら、これまで千石以上の本家によって、大木の陰に立っているよう・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫