・・・「小野小町」は、上演の為に改作したのだそうだから、無理もないが、意味を自覚しない悪くどさで、失敗と感じた。 宗之助の小町に、些も小野小町らしい大らかさも、才気もなく、始めから終りまで、妙にせっぱ詰った一筋声で我身を呪ったり、深草少将・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・ そちらからのお手紙を待っていたことや、小野さんが急逝されたこと[自注19]やで、この手紙はいつも書く筈の時より大変におくれました。 その後、お体はいかがですか。ずっと順に恢復をつづけていらっしゃいますか。この間面会のときお話のあっ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
○パオリのこと ○父と娘との散策 ○武藤のこと ○貴婦人御あいての若い女 ○夢 ○隣の職工の会話 ○夜の大雨の心持。 ○小野、山岡、島野、(態度 ○十月一日 ○日々草 ×柳やの女中の・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ ○宍戸に竹内どてらなどくれる。 ○横田 中央出、両方にはさまりどうしたら利口に立ち廻れるかと考えている男。 ○小野 ○唐沢 老人、眠って居るいつも竹内の弱点をにぎる ○三輪 ○竹中 竹内にすっかり恩になったのに反竹・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・回答者の、ポスター・バリューのある似顔が程よく入れられていて、川路龍子、獅子文六、小野佐世男その他にまじって三笠宮崇仁親王という公式の名で、回答がのせられている。の答えは、小学四年生のとき母に愛のこころをこめて送った書簡が最初のラヴ・レター・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・慶長五年七月赤松殿石田三成に荷担いたされ、丹波国なる小野木縫殿介とともに丹後国田辺城を攻められ候。当時田辺城には松向寺殿三斎忠興公御立籠り遊ばされおり候ところ、神君上杉景勝を討たせ給うにより、三斎公も随従遊ばされ、跡には泰勝院殿幽斎藤孝公御・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫