・・・青森に着いた時には小雨が降っていたが、間もなく晴れて、いまはもう薄日さえ射している。けれども、ひんやり寒い。「この辺はみんな兄さんの田でしょうね。」北さんは私をからかうように笑いながら尋ねる。 中畑さんが傍から口を出して、「そう・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・蟹田から青森まで、小さい蒸気船の屋根の上に、みすぼらしい服装で仰向に寝ころがり、小雨が降って来て濡れてもじっとしていて、蟹田の土産の蟹の脚をポリポリかじりながら、暗鬱な低い空を見上げていた時の、淋しさなどは忘れ難い。結局、私がこの旅行で見つ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・昭和九年九月二十九日の早朝新宿駅中央線プラットフォームへ行って汽車を待っていると、湿っぽい朝風が薄い霧を含んでうそ寒く、行先の天気が気遣われたが、塩尻まで来るととうとう小雨になった。松本から島々までの電車でも時々降るかと思うとまた霽れたりし・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・低い綿雲が垂れ下がって乙供からは小雨が淋しくふり出した。野辺地の浜に近い灌木の茂った斜面の上空に鳶が群れ飛んでいた。近年東京ではさっぱり鳶というものを見たことがなかったので異常に珍しくなつかしくも思われた。のみならず鳶のこのように群れている・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・例えば一般の東京市民にとりては、夜半の小雨はあえて利害を感ぜざるべきも昼間の雨には無頓着ならず。また平日一般の日本国民は京都市の晴雨に対しては冷淡なるも、御大典当時は必ずしも然らざるべし。 数学的の言葉を借りて云えば、各個人、市民、ある・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・ 池の水がいつもとちがって白っぽく濁っている、その表面に小雨でも降っているかのように細かい波紋が現滅していた。 こんな微量な降灰で空も別に暗いというほどでもないのであるが、しかしいつもの雨ではなくて灰が降っているのだという意識が、周・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
・・・霧があって小雨が降って、誠に静かな日でした。 ゼネヴからベルン、チューリヒ、ルツェルンなどを見て回りました。ルツェルンには戦争と平和の博物館というのがあって、日露戦争の部には俗悪な錦絵がたくさん陳列してあったので少しいやになりました。至・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・「月細く小雨にぬるる石地蔵」「酒しぼるしずくながらに月暮れて」「塩浜にふりつづきたる宵の月」「月暮れて雨の降りやむ星明かり」以上いずれも雨の月であるが、もう一つおまけに「傘をひろげもあえずにわか雨」というのがある。ここでは月の代わりに傘が出・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・帯しどけなき寝衣姿の女が、懐紙を口に銜て、例の艶かしい立膝ながらに手水鉢の柄杓から水を汲んで手先を洗っていると、その傍に置いた寝屋の雪洞の光は、この流派の常として極端に陰影の度を誇張した区劃の中に夜の小雨のいと蕭条に海棠の花弁を散す小庭の風・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・晁氏ガ小雨暗々トシテ人寐ネズ。臥シテ聴ク羸馬ノ残蔬ヲムトイフトコロコレナリ。鶯声ノ耳ニ上ル近キモマタ愛スベシ。今水ヲ隔テテコレヲ聴ク。殊ニ趣アルヲ覚ユ。」 寺門静軒が『江頭百詠』を刻した翌年遠山雲如が『墨水四時雑詠』を刊布した。雲如は江・・・ 永井荷風 「向嶋」
出典:青空文庫