・・・は喜劇中のモーメントである。少なくも本邦のトーキー脚色者には試みに芭蕉蕪村らの研究をすすめたいと思う。 未来の映画のテクニックはどう進歩するか。次に来るものは立体映画であろうか。これも単に双眼的効果によるものでなく、実際に立体的の映像を・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・それが単に主観的な気分だけではなくて、生理的客観的にも若返る証拠と思われるのは、そういう映画を見たあとで鏡に映った自分の顔をながめて見るとひどく若々しく見えることが多い。少なくも半日研究室で仕事に没頭したあとで鏡の中に現われる自分の顔に比べ・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・球を突き出したときの初速度が与えられればその後に球の動き行くべき道程は予言され、それが最後に静止する位置も少なくも原理的には立派に予報されるはずである。しかるに逆転映画の世界で最初に静止している球が与えられている場合に、どうして、まただれが・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・しかし自分は盲でない。ヴィエイという優れた盲の学者の説に反対すべき何らの材料も持ち合せない。しかし少なくもこれだけの事は云われると思う。すなわち芸術に対する感受性は必ずしも各人に普遍的なものではないから、ヴィエイが感得しないある物をケラーが・・・ 寺田寅彦 「鸚鵡のイズム」
・・・しかしこれを正当に研究するためにまず少なくも一通りは関係文献を古書の中から拾い集めてかかる必要がある。それは到底今の自分には急にできそうもない。それかと言っていつになったらそれができるという確かな見込みも立たない。 それで、ただここには・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・ 頭のいい人は見通しがきくだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡される。少なくも自分でそういう気がする。そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。そうして難関に出会っ・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・また科学者がこのような新しい事実に逢着した場合に、その事実の実用的価値には全然無頓着に、その事実の奥底に徹底するまでこれを突き止めようとすると同様に、少なくも純真なる芸術が一つの新しい観察創見に出会うた場合には、その実用的の価値などには顧慮・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・一方で家庭的には当時いろいろな不幸があったりして、心を痛め労することも決して少なくはなかったにかかわらず、少なくも自分の中にはそういうこととは係り合いのない別の世界があって、その世界のみが自分の第一義的な世界であり、そうして生きがいのある唯・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ 今度新聞で報ぜられた事件にしても事実は少しも知らないが、ただ問題となった学位論文が審査を及第通過している以上、その論文がともかくも学術上なんらかの価値あるものであり、少なくも全然無価値ではなく、全部が誤謬ではないであろうということはほ・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ヒラキキと呼ばれ、ヒラキキ神社があるなどと言われるとちょっと迷わされるが、よくよく考えてみるとむしろカイモンが始めであろうとも考えられる節があり、千島のカイモンと同系と考えるほうがよさそうにも思われ、少なくも両方に同等の蓋然性がある。それで・・・ 寺田寅彦 「火山の名について」
出典:青空文庫