・・・父は苦々しげに彼を尻目にかけた。負けじ魂の老人だけに、自分の体力の衰えに神経をいら立たせていた瞬間だったのに相違ない。しかも自分とはあまりにかけ離れたことばかり考えているらしい息子の、軽率な不作法が癪にさわったのだ。「おい早田」 老・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ ――略して申すのですが、そこへ案内もなく、ずかずかと入って来て、立状にちょっと私を尻目にかけて、炉の左の座についた一人があります――山伏か、隠者か、と思う風采で、ものの鷹揚な、悪く言えば傲慢な、下手が画に描いた、奥州めぐりの水戸の黄門・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ と嘲弄するごとく、わざと丁寧に申しながら、尻目に懸けてにたりとして、向へ廻り、お雪の肩へその白い手を掛けました。 畜生! 飛附いて扶けようと思ったが、動けるどころの沙汰ではないので、人はかような苦しい場合にも自ら馬鹿々々しい滑稽の・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・尾崎は重なる逐客の一人として、伯爵後藤の馬車を駆りて先輩知友に暇乞いしに廻ったが、尾行の警吏が俥を飛ばして追尾し来るを尻目に掛けつつ「我は既に大臣となれり」と傲語したのは最も痛快なる幕切れとして当時の青年に歓呼された。尾崎はその時学堂を愕堂・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・と、母親は、娘を後目にかけてしかりました。 娘はやっと顔を上げて、「三郎さん、わたしは、きっと鳥を探して捕まえてきてあげますよ。」と、涙ながらにいいました。そして、彼女は、いずこへともなく立ち去ってしまったのであります。 娘は、・・・ 小川未明 「めくら星」
・・・自分をちょっと尻目にかけ、「御馳走様」とお光が運ぶ鮨の大皿を見ながら、ひょろついて尻餅をついて、長火鉢の横にぶっ坐った。「おやまあ可いお色ですこと」と母は今自分を睨みつけていた眼に媚を浮べて「何処で」「ハッハッ……それは軍事上の・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・で見る知恵があらば貸して下されと頼み入りしにお霜は承知と呑み込んで俊雄の耳へあのね尽しの電話の呼鈴聞えませぬかと被せかけるを落魄れても白い物を顔へは塗りませぬとポンと突き退け二の矢を継がんとするお霜を尻目にかけて俊雄はそこを立ち出で供待ちに・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・女は通りがかりに自分らのほうを尻目ににらんで口の内で何かつぶやいた、それは Grob ! と言ったように思われた。四月六日 昨夜雨が降ったと見えて甲板がぬれている。いかめしくとがった岩山が見える。ホンコンと九竜の間の海峡へはいるのだ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・僕はさてこそと、変化の正体を見届けたような心持で、覚えず其顔を見詰めると、お民の方でもじろりと僕の顔を尻目にかけて壁の懸物へと視線をそらせたが、その瞬間僕の目に映じたお民の容貌の冷静なことと、平生から切長の眼尻に剣のあった其の眼の鋭い事とは・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・シワルドもフラーと叫んで血の如き酒を啜りながら尻目にウィリアムを見る。ウィリアムは独り立って吾室に帰りて、人の入らぬ様に内側から締りをした。 盾だ愈盾だとウィリアムは叫びながら室の中をあちらこちらと歩む。盾は依然として壁に懸っている。ゴ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫