・・・ 若し赤穂義士を許して死を賜うことなかったならば、彼等四十七人は尽く光栄ある余生を送りて、終りを克くし得たであろう歟、其中或は死よりも劣れる不幸の人、若くば醜辱の人を出すことなかったであろう歟、生死孰れが彼等の為めに幸福なりし歟、是れ問・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ この糸車の追憶につながっている子供のころの田園生活の思い出はほんとうに糸車の紡ぎ出す糸のごとく尽くるところを知らない。そうして、こんなことを考えていると、自分がたまたま貧乏士族の子と生まれて田園の自然の間に育ったというなんの誇りにもな・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・幸徳君らに尽く真剣に大逆を行る意志があったか、なかったか、僕は知らぬ。彼らの一人大石誠之助君がいったというごとく、今度のことは嘘から出た真で、はずみにのせられ、足もとを見る暇もなく陥穽に落ちたのか、どうか、僕は知らぬ。舌は縛られる、筆は折ら・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・先生は女が髪を直す時の千姿万態をば、そのあらゆる場合を通じて尽くこれを秩序的に諳じながら、なお飽きないほどの熱心なる観察者である。まず、忍び逢いの小座敷には、刎返した重い夜具へ背をよせかけるように、そして立膝した長襦袢の膝の上か、あるいはま・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・この小説の中に、かつてシャンパンユの平和なる田園に生れて巴里の美術家となった一青年が、爆裂弾のために全村尽く破滅したその故郷に遊び、むかしの静な村落が戦後一変して物質的文明の利器を集めた一新市街になっているのを目撃し、悲愁の情と共にまた一縷・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・或連レ袂歌呼 或は袂を連ねて歌呼し或謔浪笑罵 或は謔浪笑罵す或拗レ枝妄抛 或は枝を拗りて妄りに抛て或被レ酒僵臥 或は酒に被いて僵臥す游禽尽驚飛 游禽は尽く驚きて飛び不レ聞綿蛮和 聞・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・楽しき日は落ちて、楽しき夕幕の薄明りの、尽くる限りはあらじと思う。その時に戴けるはこの冠なり」と指を挙げて眉間をさす。冠の底を二重にめぐる一疋の蛇は黄金の鱗を細かに身に刻んで、擡げたる頭には青玉の眼を嵌めてある。「わが冠の肉に喰い入るば・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・風を切り、夜を裂き、大地に疳走る音を刻んで、呪いの尽くる所まで走るなり。野を走り尽せば丘に走り、丘を走り下れば谷に走り入る。夜は明けたのか日は高いのか、暮れかかるのか、雨か、霰か、野分か、木枯か――知らぬ。呪いは真一文字に走る事を知るのみじ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・人の意尽く張三に見われたりといわんか夫の李四を如何。若李四に見われたりといわんか夫の張三を如何。して見れば張三も李四も人は人に相違なけれど、是れ人の一種にして真の人にあらず。されば未だ全く人の意を見わすに足らず。蓋し人の意は我脳中の人に於て・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・橋あり長さ数十間その尽くる処嶄岩屹立し玉筍地を劈きて出ずるの勢あり。橋守に問えば水晶巌なりと答う。 水晶のいはほに蔦の錦かな 南条より横にはいれば村社の祭礼なりとて家ごとに行燈を掛け発句地口など様々に書き散らす。若人はたすきりり・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
出典:青空文庫