・・・ 真偽のほどは知らないが、おなじ城下を東へ寄った隣国へ越る山の尾根の談義所村というのに、富樫があとを追って、つくり山伏の一行に杯を勧めた時、武蔵坊が鳴るは滝の水、日は照れども絶えずと、謡ったと伝うる(鳴小さな滝の名所があるのに対して、こ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 清水につくと、魑魅が枝を下り、茂りの中から顕われたように見えたが、早く尾根づたいして、八十路に近い、脊の低い柔和なお媼さんが、片手に幣結える榊を持ち、杖はついたが、健に来合わせて、「苦労さしゃったの。もうよし、よし。」 と、お・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・いや、それよりも、峠で尾根に近かった、あの可恐い雲の峰にそっくりであります。 この上、雷。 大雷は雪国の、こんな時に起ります。 死力を籠めて、起上ろうとすると、その渦が、風で、ごうと巻いて、捲きながら乱るると見れば、計知られぬ高・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・日は谿向こうの尾根へ沈んだところであった。水を打ったような静けさがいまこの谿を領していた。何も動かず何も聴こえないのである。その静けさはひょっと夢かと思うような谿の眺めになおさら夢のような感じを与えていた。「ここでこのまま日の暮れるまで・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・夜が更けて来るにしたがって黒い山々の尾根が古い地球の骨のように見えて来た。彼らは私のいるのも知らないで話し出した。「おい。いつまで俺達はこんなことをしていなきゃならないんだ」 私はその療養地の一本の闇の街道を今も新しい印象で思い出す・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・日常人事の交渉にくたびれ果てた人は、暇があったら、むしろ一刻でも人寰を離れて、アルプスの尾根でも縦走するか、それとも山の湯に浸って少時の閑寂を味わいたくなるのが自然であろう。心がにぎやかでいっぱいに充実している人には、せせこましくごみごみと・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
出典:青空文庫