・・・片褄の襦袢が散って、山茶花のようにこぼれた。 この身動ぎに、七輪の慈姑が転げて、コンと向うへ飛んだ。一個は、こげ目が紫立って、蛙の人魂のように暗い土間に尾さえ曳く。 しばらくすると、息つぎの麦酒に、色を直して、お町が蛙の人魂の方を自・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・……湯気に山茶花の悄れたかと思う、濡れたように、しっとりと身についた藍鼠の縞小紋に、朱鷺色と白のいち松のくっきりした伊達巻で乳の下の縊れるばかり、消えそうな弱腰に、裾模様が軽く靡いて、片膝をやや浮かした、褄を友染がほんのり溢れる。露の垂りそ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・と背後むきに、戸棚へ立った時は、目を圧えた手を離して、すらりとなったが、半紙を抽出して、立返る頭髪も量そうに褄さきの運びとともに、またうなだれて、堪兼ねた涙が、白く咲いた山茶花に霜の白粉の溶けるばかり、はらはらと落つるのを、うっかり紙にうけ・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・七左 (襖の中ここはまた掛花活に山茶花とある……紅いが特に奥方じゃな、はッはッはッ。撫子、勝手に立つ。入かわりて、膳部二調、おりく、おその二人にて運び、やがて引返す。撫子、銚子、杯洗を盆にして出で、床なる白菊を偶と見て、・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・おじいさんは、道ばたに咲いている山茶花も、菊の花も、みんな心あってなにか物語ろうとしているように見られたのです。おじいさんは、つえを止めて、腰を伸ばして、ぼんやりとそれに見とれていました。 小鳥が、木のこずえにきて鳴いていると、おじいさ・・・ 小川未明 「幾年もたった後」
・・・どこへゆくのでしょうか、ふと、この家の前を通りかかりましたが、乞食の子は、おみよが、いま人形にごちそうをこしらえてやろうとして、菊の花や、山茶花の花弁を、小さな刃物で、小さなまないたの上に載せて刻んでいるのを見て、思わず歩みを止めて、しばら・・・ 小川未明 「なくなった人形」
・・・ 彼は細い坂を緩りゆっくり登った。山茶花の花ややつでの花が咲いていた。堯は十二月になっても蝶がいるのに驚いた。それの飛んで行った方角には日光に撒かれた虻の光点が忙しく行き交うていた。「痴呆のような幸福だ」と彼は思った。そしてうつらう・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 父には五つの歳に別れまして、母と祖母との手で育てられ、一反ばかりの広い屋敷に、山茶花もあり百日紅もあり、黄金色の茘枝の実が袖垣に下っていたのは今も眼の先にちらつきます。家と屋敷ばかり広うても貧乏士族で実は喰うにも困る中を母が手内職で、・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ 今の住居の庭は狭くて、私が猫の額にたとえるほどしかないが、それでも薔薇や山茶花は毎年のように花が絶えない。花の好きな末子は茶の間から庭へ降りて、わずかばかりの植木を見に行くことにも学校通いの余暇を慰めた。今の住居の裏側にあたる二階の窓・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 夕方に、熊吉が用達から帰って来るまで、おげんは心の昂奮を沈めようとして、縁先から空の見える柱のところへ行って立ったり、庭の隅にある暗い山茶花の下を歩いて見たりした。年老いた身の寄せ場所もないような冷たく傷ましい心持が、親戚の厄介物とし・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
出典:青空文庫