・・・ やはり浦上の山里村に、おぎんと云う童女が住んでいた。おぎんの父母は大阪から、はるばる長崎へ流浪して来た。が、何もし出さない内に、おぎん一人を残したまま、二人とも故人になってしまった。勿論彼等他国ものは、天主のおん教を知るはずはない。彼・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・かえったけれ共世間にはこんな事を知って居る人は一人もなくその後は家は栄えて沢山の牛も一人で持ち田畠も求めそれ綿の花盛、そら米の秋と思うがままの月日を重ねて小吟も十四になって美しゅう化粧なんかするもんで山里ではそれほどでなくっても殊更に目立っ・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・ 私の九つ十のころでございます、よく母に連れられて城下から三里奥の山里に住んでいる叔母の家を訪ねて、二晩三晩泊ったものでございます。今日もちょうどそのころのことを久しぶりで思い出しました。今思うと、私が十七八の時分ひとが尺八を吹くのを聞・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ それから源三はいよいよ分り難い山また山の中に入って行ったが、さすがは山里で人となっただけにどうやらこうやら「勘」を付けて上って、とうとう雁坂峠の絶頂へ出て、そして遥に遠く武蔵一国が我が脚下に開けているのを見ながら、蓬々と吹く天の風が頬・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・昼食しながらさまざまの事を問うに、去年の冬は近き山にて熊を獲りたりと聞き、寒月子と顔見合わせて驚き、木曾路の贄川、ここの贄川、いずれ劣らぬ山里かな、思えば思い做しにや景色まで似たるところありなどと語らう。 贄川を立ち出でて猪の鼻を経、強・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・たとえば山里の夜明けに聞こえるような鶏犬の声に和する谷川の音、あるいは浜べの夕やみに響く波の音の絶え間をつなぐ船歌の声、そういう種類のものの忠実なるレコードができたとすれば、塵の都に住んで雑事に忙殺されているような人が僅少な時間をさいて心を・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ 初秋の日脚は、うそ寒く、遠い国の方へ傾いて、淋しい山里の空気が、心細い夕暮れを促がすなかに、かあんかあんと鉄を打つ音がする。「聞えるだろう」と圭さんが云う。「うん」と碌さんは答えたぎり黙然としている。隣りの部屋で何だか二人しき・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ 阿蘇の山里秋更けて 眺め淋しき冬まぐれ ………… お千代ちゃんは内気らしく、受け口を少しあいて、低い声で歌った。由子は自分の肩をお千代ちゃんの肩にぴったりつけ、顔を上に向け、恍惚と声張り上げてうたった。・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・わかのあたたかさ、夢から現にかえったように、今更事々しく人の口葉にのぼる花見の宴をはる東の御館と云うのは、この里の東の方を一帯にのこって居るみどりの築土あるのがそれ、東の御館と呼んでも、この人とぼしい山里に対して呼ぶべき西の館もなく、其の名・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・ 中「山里は冬ぞさみしさまさりける、人目も草もかれぬと思へば」秋の山里とてその通り、宵ながら凄いほどに淋しい。衣服を剥がれたので痩肱に瘤を立てている柿の梢には冷笑い顔の月が掛かり、青白く冴えわたッた地面には小枝の影が・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫