・・・この処は、北は川口町、南は赤羽の町が近いので、橋上には自転車と自動車の往復が烈しく、わたくしの散策には適していない。放水路の水と荒川の本流とは新荒川橋下の水門を境にして、各堤防を異にし、あるいは遠くなりあるいは近くなりして共に東に向って流れ・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・何故かというと、この渡場は今戸橋の下を流れる山谷堀の川口に近く、岸に上るとすぐ目の前に待乳山の堂宇と樹木が聳えていた故である。しかしこの堂宇は改築されて今では風致に乏しいものとなり、崖の周囲に茂っていた老樹もなくなり、岡の上に立っていた戸田・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・ 海のような広い川の川口に近き処を描き出した。見た事はないが揚子江であろうと思うような処であった。その広い川に小舟が一艘浮いて居る。勿論月夜の景で、波は月に映じてきらきらとして居る。昼のように明るい。それで遠くに居る小舟まで見えるので、・・・ 正岡子規 「句合の月」
一 カールの持った「三人の聖者」 ドイツの南の小さい一つの湖から注ぎ出て、深い峡谷の間を流れ、やがて葡萄の美しく実る地方を通って、遠くオランダの海に河口を開いている大きい河がある。それは有名なライン河・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・自分はそのこまかく折目のついた新聞を手にとり、同志川口浩、徳永、橋本、貴司などが引致されたというところを繰かえして読み、これらの人々の闘争を、身近に感じるのであった。 大会が持たれたという事は、しかし何とも云えぬ鼓舞であった。自分が書く・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ きょうは雨つづきの後の晴天で、珍しく川口さん夫妻が小さい娘の南枝子をつれてきて、うちの太郎と動物園へ今出かけたところ。私はカゼで門のところに佇み、黄色いずくめの太郎が初めて会った南枝子の手をとって歩いてゆくのを遠くなるまで眺めました。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・特集ルポルタージュ「鋳物の街・川口の表情」「地の平和の緑樹園、安行植木苗木地帯を往く」などで、生活的・文学的感覚を社会的にひろめ深めてゆこうと努力している点で注目をひいている『埼玉文学』にしろ、同人たちは、より人間らしい社会生活の確保と、そ・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
元文三年十一月二十三日の事である。大阪で、船乗り業桂屋太郎兵衛というものを、木津川口で三日間さらした上、斬罪に処すると、高札に書いて立てられた。市中至る所太郎兵衛のうわさばかりしている中に、それを最も痛切に感ぜなくてはならぬ太郎兵衛の・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・しまいには紫川の東の川口で、旭町という遊廓の裏手になっている、お台場の址が涼むには一番好いと極めて、材木の積んであるのに腰を掛けて、夕凪の蒸暑い盛を過すことにした。そんな時には、今度東京に行ったら、三本足の床几を買って来て、ここへ持って来よ・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・枳殻のまばらな裾から帆をあげた舟の出入する運河の河口が見えたりした。そしてその方向から朝日が昇って来ては帆を染めると、喇叭のひびきが聞えて来た。私はこの街が好きであった。しかし私はこの大津の街にもしばらくよりいられなかった。再び私は母と姉と・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫