・・・私たちは今基礎工事中です。金をちびちびためようとは思いません。できるのは一時です」彼はいくらか興奮したような声で言った。 私たちは河原ぞいの道路をあるいていた。河原も道路も蒼白い月影を浴びて、真白に輝いていた。対岸の黒い松原蔭に、灯影が・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
昭和二年の冬、酉の市へ行った時、山谷堀は既に埋められ、日本堤は丁度取崩しの工事中であった。堤から下りて大音寺前の方へ行く曲輪外の道もまた取広げられていたが、一面に石塊が敷いてあって歩くことができなかった。吉原を通りぬけて鷲神社の境内に・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・逆賊門とテームス河とは堤防工事の竣功以来全く縁がなくなった。幾多の罪人を呑み、幾多の護送船を吐き出した逆賊門は昔しの名残りにその裾を洗う笹波の音を聞く便りを失った。ただ向う側に存する血塔の壁上に大なる鉄環が下がっているのみだ。昔しは舟の纜を・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 仕事の済んでしまった後の工事場は、麗らかな春の日でも淋しいものだ。それが暗い吹雪の夜は、況して荒涼たる景色であった。 二人の子供は、コムプレッサー、鍛冶場、変電所、見張り、修繕工場、などを見て歩いたが、その親たちは見当らなかった。・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・ 試みに西洋諸国の工商社会を見れば、某は何々の工事を企てて何十万円を得たり、某は何々の商売に何百万の産をなしたりという、その人の身は、必ず学校より出でたる者にして、少小教育の所得を、成年の後、殖産の実地に施し、もって一身一家の富をいたし・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・ヤア品川湾がすっかり見えるネー、なるほどあれが築港の工事をやっているのか。実に勇ましいヨ。どしどし遣らなくっちゃいかんヨ。」「君はどの汽車に乗るのだ。」「僕は二時半の東海道線だが、尤も本所へも寄って行きたいのだが、本所はずれまで人力で往復し・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・北緯二十五度東経六厘の処に、目的のわからない大きな工事ができましたとな。二人とも言ってごらん」「北緯二十五度東経六厘の処に目的のわからない大きな工事ができました」「そうだ。では早く。そのうち私は決してここを離れないから」 蟻の子・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・村の労銀というのは恐らく従来の救済工事の日当や日傭労働賃銀を標準にしてのことであったろう。むしろ意外な苦情を受けた専門家たちは「労銀が多すぎる為に起る弊害について大いに考えさせられた。副業が本業になることを恐れるためである」その問題は、それ・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・ 今年の正月から清武村字中野に藩の学問所が立つことになって、工事の最中である。それが落成すると、六十一になる父滄洲翁と、去年江戸から藩主の供をして帰った、二十九になる仲平さんとが、父子ともに講壇に立つはずである。そのとき滄洲翁が息子によ・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・巨椋池はその後干拓工事によって水位を何尺か下げた。前に蓮の花の咲いていた場所のうちで水田に化したところも少なくないであろう。それに伴なって蓮の栽培がどういう影響を受けたかも私は知らない。もし蓮見を希望せられる方があったら、現状を問い合わせて・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫