・・・あの露路をはいった左側です。」「じゃ君の清元の御師匠さんの近所じゃないか?」「ええ、まあそんな見当です。」 神山はにやにや笑いながら、時計の紐をぶら下げた瑪瑙の印形をいじっていた。「あんな所に占い者なんぞがあったかしら。――・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 僕等は発行所へはいる前にあの空罎を山のように積んだ露路の左側へ立ち小便をした。念の為に断って置くが、この発頭人は僕ではない。僕は唯先輩たる斎藤さんの高教に従ったのである。 発行所の下の座敷には島木さん、平福さん、藤沢さん、高田さん・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・一体、右側か左側か。」と、とろりとして星を仰ぐ。「大木戸から向って左側でございます、へい。」「さては電車路を突切ったな。そのまま引返せば可いものを、何の気で渡った知らん。」 と真になって打傾く。「車夫、車夫ッて、私をお呼びな・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・中野行を待つ右側も、品川の左側も、二重三重に人垣を造って、線路の上まで押覆さる。 すぐに電車が来た処で、どうせ一度では乗れはしまい。 宗吉はそう断念めて、洋傘の雫を切って、軽く黒の外套の脇に挟みながら、薄い皮の手袋をスッと手首へ扱い・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・母の石塔の左側に父の墓はまだ新しい。母の初七日のおり境内へ記念に植えた松の木杉の木が、はや三尺あまりにのびた、父の三年忌には人の丈以上になるのであろう。畑の中に百姓屋めいた萱屋の寺はあわれにさびしい、せめて母の記念の松杉が堂の棟を隠すだけに・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ 壱岐殿坂の中途を左へ真砂町へ上るダラダラ坂を登り切った左側の路次裏の何とかいう下宿へ移ってから緑雨は俄に落魄れた。落魄れたといっては語弊があるが、それまでは緑雨は貧乏咄をしても黒斜子の羽織を着ていた。不味い下宿屋の飯を喰っていても牛肉・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・当時本郷の富坂の上に住っていた一青年たる小生は、壱岐殿坂を九分通り登った左側の「いろは」という小さな汁粉屋の横町を曲ったダラダラ坂を登り切った左側の小さな無商売屋造りの格子戸に博文館の看板が掛っていたのを記憶している。小生は朝に晩に其家の前・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・しかし心斎橋筋へ出るつもりはなく、心斎橋筋の一つ手前の畳屋町筋へ出るまでの左側にスタンド酒場の「ダイス」があるのだった。 その四五日前、私は「ダイス」のマダムから四ツ橋の天文館のプラネタリュウム見物を誘われた。彼女は私より二つ下の二十七・・・ 織田作之助 「世相」
・・・その隣りは竹林寺で、門の前の向って右側では鉄冷鉱泉を売っており、左側、つまり共同便所に近い方では餅を焼いて売っていた。醤油をたっぷりつけて狐色にこんがり焼けてふくれているところなぞ、いかにもうまそうだったが、買う気は起らなかった。餅屋の主婦・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 主催笹川の左側には、出版屋から、特に今晩の会の光栄を添えるために出席を乞うたという老大家のH先生がいる。その隣りにはモデルの一人で発起人となった倉富。右側にはやはりモデルの一人で発起人の佐々木と土井。その向側にはおもに新聞雑誌社から職・・・ 葛西善蔵 「遁走」
出典:青空文庫