・・・御承知かも知れませんが、日錚和尚と云う人は、もと深川の左官だったのが、十九の年に足場から落ちて、一時正気を失った後、急に菩提心を起したとか云う、でんぼう肌の畸人だったのです。「それから和尚はこの捨児に、勇之助と云う名をつけて、わが子のよ・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・一つ目の橋の袂を左へ切れて、人通りの少い竪川河岸を二つ目の方へ一町ばかり行くと、左官屋と荒物屋との間に挟まって、竹格子の窓のついた、煤だらけの格子戸造りが一軒ある――それがあの神下しの婆の家だと聞いた時には、まるでお敏と自分との運命が、この・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・大工左官がそちこちを、真昼間の夜討のように働く。……ちょうな、鋸、鉄鎚の賑かな音。――また遠く離れて、トントントントンと俎を打つのが、ひっそりと聞えて谺する……と御馳走に鶫をたたくな、とさもしい話だが、四高にしばらく居たことがあって、土地の・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
神田の司町は震災前は新銀町といった。 新銀町は大工、屋根職、左官、畳職など職人が多く、掘割の荷揚場のほかにすぐ鼻の先に青物市場があり、同じ下町でも日本橋や浅草と一風違い、いかにも神田らしい土地であった。 喧嘩早く、・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・大工とか左官とかそういった連中が溪のなかで不可思議な酒盛りをしていて、その高笑いがワッハッハ、ワッハッハときこえて来るような気のすることがある。心が捩じ切れそうになる。するとそのとたん、道の行手にパッと一箇の電燈が見える。闇はそこで終わった・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・ 兵士は、その殆んどすべてが、都市の工場で働いていた者たちか、或は、農村で鍬や鎌をとっていた者たちか、漁村で働いていた者たちか、商店で働いていた者たちか、大工か左官の徒弟であった者たちか、そういう青年たちばかりだ。小学校へ行っている時分・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・「きのうまで左官屋さんがはいっていた。庭なぞはまだちっとも手がつけてない。」 と、太郎は私に言ってみせた。 何もかも新規だ。まだ柱時計一つかかっていない炉ばたには、太郎の家で雇っているお霜婆さんのほかに、近くに住むお菊婆さんも手・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・あのね、ほら、左官屋さんなんか、はいているじゃないか、ぴちっとした紺の股引さ、あんなの無いかしら、ね、と懸命に説明して呉服屋さん、足袋屋さんに聞いて歩いたのですが、さあ、あれは、いま、と店の人たち笑いながら首を振るのでした。もう、だいぶ暑い・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・あの樹木に覆われているひくいトタン屋根は、左官屋のものだ。左官屋はいま牢のなかにいる。細君をぶち殺したのである。左官屋の毎朝の誇りを、細君が傷つけたからであった。左官屋には、毎朝、牛乳を半合ずつ飲むという贅沢な楽しみがあったのに、その朝、細・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・壁塗り左官のかけ梯子より落ちしものの左腕の肉、煮て食いし話、一看守の語るところ、信ずべきふし在り。再び、かの、ひらひらの金魚を思う。「人権」なる言葉を思い出す。ここの患者すべて、人の資格はがれ落されている。 われら生き伸びて・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
出典:青空文庫