・・・僕等は晩飯をすませた後、この町に帰省中のHと言う友だちやNさんと言う宿の若主人ともう一度浜へ出かけて行った。それは何も四人とも一しょに散歩をするために出かけたのではなかった。HはS村の伯父を尋ねに、Nさんはまた同じ村の籠屋へ庭鳥を伏せる籠を・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・このまま、今度の帰省中転がってる従姉の家へ帰っても可いが、其処は今しがた出て来たばかり。すぐに取って返せば、忘れ物でもしたように思うであろう。……先祖代々の墓詣は昨日済ますし、久しぶりで見たかった公園もその帰りに廻る。約束の会は明日だし、好・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ が、私のこの旅客は、実は久しぶりの帰省者であった。以前にも両三度聞いた――渠の帰省談の中の同伴は、その容色よしの従姉なのであるが、従妹はあいにく京の本山へ参詣の留守で、いま一所なのは、お町というその娘……といっても一度縁着いた出戻りの・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・例のスグカエレであるから、早速舎監に話をして即日帰省した。何事が起ったかと胸に動悸をはずませて帰って見ると、宵闇の家の有様は意外に静かだ。台所で家中夕飯時であったが、ただそこに母が見えない許り、何の変った様子もない。僕は台所へは顔も出さず、・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・悪童帰省すという感じであった。何か珍妙なデマを飛ばしたくてうずうずしているようだった。 案の定東京へ帰って間もなく、武田麟太郎失明せりという噂が大阪まで伝わって来た。これもデマだろうと、私はおもって、東京から来た人をつかまえてきくと、失・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ 記者去年帰省して旧友の小学校教員に会う、この日記は彼の手に秘蔵されいたるなり。馬島に哀れなる少女あり大河の死後四月にして児を生む、これ大河が片身、少女はお露なりとぞ。 猶お友の語るところに依れば、お露は美人ならねどもその眼に人を動・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・だろうと衆人から噂されていた娘であるが、果してその通りで、年の行く毎に益々美しく成る、十七の春も空しく過ぎて十八の夏の末、東京ならば学校の新学期の初まるも遠くはないという時分のこと、法学士大津定二郎が帰省した。 富岡先生の何々塾から出て・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 間もなく冬期休課になり、僕は帰省の途について故郷近く車で来ると、小さな坂がある、その麓で車を下り手荷物を車夫に托し、自分はステッキ一本で坂を登りかけると、僕の五六間さきを歩く少年がある、身に古ぼけたトンビを着て、手に古ぼけた手提カバン・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・父は彼の岩本入蔵中にみまかったのでその墓参をかねての帰省であった。「日蓮此の法門の故に怨まれて死せんこと決定也。今一度故郷へ下つて親しき人々をも見ばやと思ひ、文永元年十月三日に安房国へ下つて三十余日也。」 折しも母は大病であったのを・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 先日思いがけなくT君が帰省して、いろいろ東京の様子や、最近の文学の傾向や人々の動静をきくことができた。 その時、プロレタリア文学のことに話が及ぶと、T君は、いまどきプロレタリア文学などといったら、馬鹿か、気ちがいだと思われるよと笑・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
出典:青空文庫