・・・ぐずぐずしていると、会葬者の宿所を、帳面につけるのもまにあわない。僕はいろんな人の名刺をうけとるのに忙殺された。 すると、どこかで「死は厳粛である」と言う声がした。僕は驚いた。この場合、こんな芝居じみたことを言う人が、僕たちの中にいるわ・・・ 芥川竜之介 「葬儀記」
・・・ 受附のような所で、罫紙の帳面に名前を書いて、奥へ通ると、玄関の次の八畳と六畳と、二間一しょにした、うす暗い座敷には、もう大分、客の数が見えていた。僕は、人中へ出る時は、大抵、洋服を着てゆく。袴だと、拘泥しなければならない。繁雑な日本の・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・ジプシーのような、脊の低い区役所の吏員が、帳面と引合わせて、一人一人罹災民諸君を呼び出すのを、僕たちが一枚一枚、猿股を渡すという手はずであった。残念なことに、どの部屋で、どんな人がどんなことをしていたか忘れてしまったがただ一つ覚えているのは・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・場格子の後へ坐りましたが、さあここ二日の間に自分とお敏との運命がきまるのだと思うと、心細いともつかず、もどかしいともつかず、そうかと云って猶更また嬉しいともつかず、ただ妙にわくわくした心もちになって、帳面も算盤も手につきません。そこでその日・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ちゃら金が、碁盤の前で、何だか古い帳面を繰っておりましたっけ。金歯で呼込んで、家内が留守で蕎麦を取る処だ、といって、一つ食わしてくれました。もり蕎麦は、滝の荒行ほど、どっしりと身にこたえましたが、そのかわり、ご新姐――お雪さんに、(おい、ご・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・かぶった処で、背負った処で、人間のした事は、人間同士が勝手に夥間うちで帳面づらを合せて行く、勘定の遣り取りする。俺たちが構う事は少しもない。三の烏 成程な、罪も報も人間同士が背負いっこ、被りっこをするわけだ。一体、このたびの事の発源は、・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・がその色男を尋ねて上京し、行くえが分らないので、しばらく僕の家にいた後、男のいどころが分ったので、おもちゃのような一家を構えたが、つれ添いの病気のため収入の道が絶え、窮したあげくに、この襦袢を僕の家の帳面をもって質入れした。その後、二人とも・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「ブリウブラックを使えば帳面を附けているような気がする」と好く言われた。 その割に原稿は極めてきたなかった。句読の切り方などは目茶だった。尤も晩年のことは知らない。そのくせ書にかけては恐らく我が文壇の人では第一の達人だったろう。 修・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・といったような帳面を拵えてつけておいた。 ある晩酒を飲みながら老父は耕吉に向って、「俺はこうしてまあできるだけお前には尽しているつもりだが、よその親たちのことを考えてみろ、そんなもんではないぜ。これがもし世間に知れてみなさい、俺のこ・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・八千円ばかりの金高から百円を帳面で胡魔化すことは、たとい自分に為し得ても、直ぐ後で発覚る。又自分にはさる不正なことは思ってみるだけでも身が戦えるようだ。自分が弁償するとしてその金を自分は何処から持て来る? 思えば思うほど自分はどうして可・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
出典:青空文庫