・・・「まずうちへ帰ると婆さんが横綴じの帳面を持って僕の前へ出てくる。今日は御味噌を三銭、大根を二本、鶉豆を一銭五厘買いましたと精密なる報告をするんだね。厄介きわまるのさ」「厄介きわまるなら廃せばいいじゃないか」と津田君は下宿人だけあって・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・然るに西洋流の帳面をそのままに用い、横文の数字を横に記して、人の姓名も取引の事柄も日本の字を横に書き、いわば額面の文字を左の方から読む趣向にするものありと聞けり。 この趣向はなはだ便利なり。第一、西洋の帳面を摸製するにやすく、あるいは摸・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・僕はもう少し習ったらうちの田をみんな一枚ずつ測って帳面に綴じておく。そして肥料だのすっかり考えてやる。きっと今年は去年の旱魃の埋め合せと、それから僕の授業料ぐらいを穫ってみせる。実習は今日も苗代掘りだった。四月八日 水、今日は実・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・また帳面にも載っとるじゃ。貴さまの悪い斧のあとのついた九十八の足さきがいまでもこの林の中にちゃんと残っているじゃ。」「あっはっは。おかしなはなしだ。九十八の足さきというのは、九十八の切株だろう。それがどうしたというんだ。おれはちゃんと、・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・専売局であ、この葉一枚ずつ数えで帳面さつけでるだ。おら知らないぞ。」「おらも知らないぞ。」「おらも知らないぞ。」みんな口をそろえてはやしました。 すると三郎は顔をまっ赤にして、しばらくそれを振り回して何か言おうと考えていましたが・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・弟は、書生さんが起しに来てくれたと思った。帳面から顔をあげず、もう起きてるよ、と云って、読みつづけていた。暫くして上の弟が起きて来て、初めて先刻のぞいたのは泥棒の眼であったとわかったのであった。この下の弟は十年ばかり前、思想的な嵐の裡で自身・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・芝生で椅子を並べ、Sさん、Yが支払いの帳面しらべをする手伝いをさせられていた。昨日、K先生のところへ行かれた由。風邪をこじらせて二階で夜着を顎まで引上げて寝ていた。「病気をしていらっしゃると何だかお気の毒でねえ」 K先生、B学院で総指揮・・・ 宮本百合子 「金色の秋の暮」
・・・のは、帳面づらだけだと、誰にも分りきった軍需生産者、つまるところは、戦争で儲けつくした者たちに、何故か幣原内閣は、なおも追銭をやらなければならない義理を感じているのである。戦争中、人民から集めた国防献金は七億円あまった。それは、今どこに管理・・・ 宮本百合子 「現実の必要」
・・・佐野さんが来るのを傍輩がかれこれ云っても、これも生帳面に素話をして帰るに極まっている。どんな約束をしているか、どう云う中か分からないが、みだらな振舞をしないから、不行跡だと云うことは出来ない。これもお蝶の信用を固うする本になっているのである・・・ 森鴎外 「心中」
・・・ただの百姓や商人など鋤鍬や帳面のほかはあまり手に取ッたこともないものが「サア軍だ」と駆り集められては親兄弟には涙の水杯で暇乞い。「しかたがない。これ、忰。死人の首でも取ッてごまかして功名しろ」と腰に弓を張る親父が水鼻を垂らして軍略を皆伝すれ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫