・・・で、先ず「平定」とでも訳する所であろうが、とにかくフランス人らしい巧妙な措辞である。「誅戮」「討伐」「征伐」「征討」などと、武張ったどこかの国のジャーナリストなら書きたい所であろう。それを「平和化」と云ったところはやはりフランス人である。・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 西南戦争に出征していた父が戦乱平定ののち家に帰ったその年の暮れに私が生まれた。その私が中学校の三年生か四年生の時であったからともかくも蓄音機が発明されてから十六七年後の話である。ある日の朝K市の中学校の掲示場の前におおぜいの生徒が集ま・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・然しこの書は明治十年西南戦争の平定した後凱旋の兵士が除隊の命を待つ間一時谷中辺の寺院に宿泊していた事を記述し、それより根津駒込あたりの街の状況を説くこと頗精細である。是亦明治風俗史の一資料たることを失わない。殊に根津遊廓のことに関しては当時・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ ○ 欧洲の乱が平定し仏蘭西の国土が独逸人の侵略から僅に免れ得た時、わたくしは年まさに強仕に達しようとしていた。それより今日に至るまで葛裘を変ること二十たびである。この間にわたくしは西洋に移り住もうと思立って、・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・島原征伐がこの年から三年前寛永十五年の春平定してからのち、江戸の邸に添地を賜わったり、鷹狩の鶴を下されたり、ふだん慇懃を尽くしていた将軍家のことであるから、このたびの大病を聞いて、先例の許す限りの慰問をさせたのも尤もである。 将軍家がこ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫