・・・また三上於菟吉氏も書いておられたが僕はその一部分より読まなかった。平林初之輔氏も簡単ながら感想を発表した。そのほか西宮藤朝氏も意見を示したとのことだったが、僕はついにそれを見る機会を持たなかった。 そこでこれらの数氏の所説に対する僕の感・・・ 有島武郎 「片信」
・・・その点においては、これは最初の試みがなされているということが出来る。平林たい子、金子洋文にも、それ/″\信州、秋田の農民を描いて、は握のたしかさを示したものがある。死んだ山本勝治には、階級闘争の中に生長した青年らしい新しさが幾分か作品の中に・・・ 黒島伝治 「農民文学の問題」
・・・佐多稲子、松田解子、平林たい子、藤島まき、壺井栄などがそうである。これらの婦人作家は、みな少女時代から辛苦の多い勤労の生活をして来て、やがて妻となり母となり、本当に女として生きてゆく希望、よろこび、その涙と忍耐とを文学作品に表現しようとして・・・ 宮本百合子 「明日咲く花」
・・・無産者芸術運動、その文学の分野では、自然発生的に宮嶋資夫、葉山嘉樹、前田河広一郎、江口渙その他の無産階級出身の小説家の作品が登場し、芸術理論の面では、平林初之輔、青野季吉、蔵原惟人等によってブルジョア文芸批評の主観的な印象批評に対して、文学・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」
・・・こちらの訳をしたひとは平林氏ではないから文体も違っているでしょう。私はこの偉い人の『科学の価値』という本の手ずれた表紙を常に親愛をもって眺めていたが、それはその手垢に対する主観的親愛に止っていたのだからこれを瞥見して苦笑して居ります。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・「かつての自然主義隆隆とまったく同様、ちょうど三年にして衰退しはじめたのであります。平林たい子のことばをもじっていえば、戦後、凱歌を奏しつつひきかえして来た知識階級は、一九四九年にいたってふたたび、そのおなじ道を旗をまいて敗走しつつあるとい・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・作品の客観的な批評という今日での常識さえ、その時分は平林初之輔によって「外在批評」というような表現で提起されるありさまであった。文芸批評はそのころすべて主観に立つ印象批評であったから、在来の日本文学の世界の住人たちの感情にとって、プロレタリ・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
暑気にあたって、くず湯をたべタオルで汗を拭きながら、本庄陸男さんの死について考えていた。 先頃平林彪吾さんが死なれたときも、様々な感想にうたれたのであったが、本庄さんが「石狩川」一篇をのこして、その出版と殆ど同時に・・・ 宮本百合子 「作家の死」
・・・していた藤森成吉、秋田雨雀、小川未明等の若い作家たちは、新たに起ったこの文学的潮流に身を投じ、従来の作家の生い立ちとは全くちがった生活の閲歴を持った前田河広一郎、中西伊之助、宮地嘉六等の作家たちと共に平林初之輔その他が新興文学の理論家として・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・今日作品を書いている佐多稲子、平林たい子、松田解子、壺井栄など。これらの婦人作家は、それまでの婦人作家とちがって、貧困も、勤労の味も、女としての波瀾も経験した人々であった。そういう人達によって、本当に社会矛盾を認識し、人間として伸びようとす・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
出典:青空文庫