・・・その証拠には自分の如く平生好んで悪辣な弁舌を弄する人間でも、菊池と或問題を論じ合うと、その議論に勝った時でさえ、どうもこっちの云い分に空疎な所があるような気がして、一向勝ち映えのある心もちになれない。ましてこっちが負けた時は、ものゝ分った伯・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・しかしどこか独自なところがあって、平生の話の中にも、その着想の独創的なのに、我々は手を拍って驚くことがよくあった。晩年にはよく父は「自分が哲学を、自分の進むべき路として選んでおったなら、きっと纏まった仕事をしていたろう」と言っていた。健康は・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・最早鋭い牙を、よしや打たれてもこの人たちに立てることが出来ぬようになったのを怖れるのだ。平生の人間に対する憤りと恨みとが、消えたために、自ら危んだのだ。どの子もどの子も手を出して摩るのだ。摩られる度に、犬はびくびくした。この犬のためにはまだ・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・その婦人は三十何年間日本にいて、平安朝文学に関する造詣深く、平生日本人に対しては自由に雅語を駆使して応対したということである。しかし、その事はけっしてその婦人がよく日本を了解していたという証拠にはならぬではなかろうか。 詩は古典的で・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・この言をしてもし平生にあらしめば必ず一条の紛紜を惹き起こすに相違なきも、病者に対して看護の地位に立てる者はなんらのこともこれを不問に帰せざるべからず。しかもわが口よりして、あからさまに秘密ありて人に聞かしむることを得ずと、断乎として謂い出だ・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・浅いか深いかわからぬが深いには相違ない。平生見つけた水の色ではない、予はいよいよ現世を遠ざかりつつゆくような心持ちになった。「じいさん、この湖水の水は黒いねー、どうもほかの水とちがうじゃないか」「ヘイ、この海は澄んでも底がめいません・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・まず、平生通りの調子でこだわりのない声を出したかの女の酔った様子が、なよなよした優しい輪廓を、月の光で地上にまでも引いている。「また青木だろう?」「いいえ、これから行くの」「じゃア、早く行きゃアがれ!」僕はわざとひどくかの女を突・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ この椿岳国の第一の名産たる画はどんな作である乎、先年の椿岳展覧会は一部の好事家間に計画されたので、平生相知る間を集めて展観したのだから、この展覧会で椿岳の画の全部を知る事は出来なかったが、ほぼその画風を窺う事は出来た。 椿岳の画は・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・、我軍の攻撃に遭って防戦したのであろうが、味方は名に負う猪武者、英吉利仕込のパテント付のピーボヂーにもマルチニーにも怯ともせず、前へ前へと進むから、始て怖気付いて遁げようとするところを、誰家のか小男、平生なら持合せの黒い拳固一撃でツイ埒が明・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・それは妖婦タイプの女として、平生から彼の推賞している女だ。彼はその女と私とを突合わして、何らかの反応を検ようというつもりであったらしい。私はその天水桶へ踏みこんだ晩、どんな拍子からだったか、その女を往来へ引っぱりだして、亡者のように風々と踊・・・ 葛西善蔵 「遁走」
出典:青空文庫