・・・そのうちで半分は自分より年下の者である。これらの人々の追憶をいつかは書いておきたい気がする、しかしそれを一々書けば限りはなく、それを書くという事はつまり自分の生涯の自叙伝を書く事になる。これは容易には思い立てない仕事である。そうしておそらく・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・こう云う性質のためであるか、雪ちゃんの友達は多く自分より年下の男の子であった。隣家に同年輩の娘子供はずいぶんないでもなかったのにこれらとはとにかく遊ばなかった。何故だろうと考えてみた事もあった。隣は多く小官吏であったのである。 ある日の・・・ 寺田寅彦 「雪ちゃん」
・・・今年五つになる年ちャんという子は三人の中の一番年下であるが「なに化けるものか」と平気にいってまた強く打てば猫はニャーニャーといよいよ窮した声である。三人で暫く何か言って居たが、やがて年ちャんという子の声で「高ちャん高ちャんそんなに打つと化け・・・ 正岡子規 「飯待つ間」
・・・五つ年下の植村婆さんは、耳の遠い沢やに、大きな声で悠くり訊いた。「いよいよ行ぐかね?」 沢や婆は、さも草臥れたように其に答えず、「やっとせ」と上り框に腰を下した。そして、がさがさの手の平で顔じゅう撫でた。植村婆さんは、一寸皮・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・みんなは学級順に年下の者を前にして腰をかける。大きい角テーブルがあって、そこにアルミニュームの鉢、サジなどがキレイにうんと積み重ねてある。 私たちは、一番年下の級の子供たちの間に挾って坐っている。子供たちがこっちをみる。私たちも子供たち・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・そして、これらの誠実な芸術家たちが、ゴーリキイはケーテより一つ年下であり、魯迅は十四歳若く、ほぼ共通な文化の世代を経て生き、たたかい、世界芸術の宝となっていることも注目される。 魯迅は一九三五年ごろに、中国の新しい文化の発展のために多大・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・私はきのう、おとといでシャパロフ[自注12]をよみかえしたのですが、ゴーリキイより三つ年下のこのひとの経験はいろいろ比べて面白い。なかに、シベリアにはチェレムーシャという韮に似た草があって、それをたべると壊血病の癒るということがあります。何・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 日独協定が行われて略一ヵ年を経た本年下四期に日伊協定が結ばれ、南京陥落の大提灯行列は、大本営治下の各地をねり歩いた。十二月二十四日開催の第七十三議会に先立つこと九日の十五日に日本無産党・全評を中心として全国数百人の治維法違反容疑者の検・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ アンドレ・ジイドはゴーリキイの誕生におくれること一歳、ロマン・ロオランより三つの年下として一八六九年、パリに生れた。両親は富裕な清教徒であった。十一歳で父に死別した後、病弱な神経質体質の少年であるジイドは、凡ての悪行為、悪思考と呼ばれ・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・夫人は当時三十六歳で、私の母親よりは十歳年下であったが、その時には何となく母親に似ているように感じた。体や顔の太り具合が似ていたのかもしれない。かすかにほほえみを浮かべながら、無口で、静かに控えておられた。当時はまだ『道草』も書かれておらず・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫