・・・そこは、ともかく何万坪という広い構内ですから、本所かいわいの人たちは、だれもそこなら安全だと思って、どんどん荷物をはこびこみました。夜になってからは、いよいよ多くの人が、むりやりにわりこんで来て、ぎっしり一ぱいにつまってしまいました。ところ・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・其等の音は、スバーの落付かない魂に打ちよせる、一つの広い響の波となります。此自然の囁き動きこそ、唖の娘の言葉でした。長い睫毛がかげを投げた黒い眼のあの物語は、とりもなおさず、彼女を囲む世界の言葉なのでした。蝉の鳴いている樹から、静かな星に至・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・それからがギリシャ伝来の数学に対する広い意味の近代的数学であります。こうして新しい領分が開けたわけですから、その開けた直後は高まるというよりも寧ろ広まる時代、拡張の時代です。それが十八世紀の数学であります。十九世紀に移るあたりに、矢張りかか・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・それを一段落として、身分相応に結婚して、ボヘミアにある広い田畑を受け取ることになっている。結婚の相手の令嬢も、疾っくに内定してある。令嬢フィニイはキルヒネツグ領のキルヒネツゲル伯爵夫人になるのが本望である。この社会では結婚前は勿論、結婚して・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・故郷のいさご路、雨上がりの湿った海岸の砂路、あの滑らかな心地の好い路が懐しい。広い大きい道ではあるが、一つとして滑らかな平らかなところがない。これが雨が一日降ると、壁土のように柔らかくなって、靴どころか、長い脛もその半ばを没してしまうのだ。・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・今度の家は前のせまくるしい住居とちがって広い庭園に囲まれていたので、そこで初めて自由に接することの出来た自然界の印象も彼の生涯に決して無意味ではなかったに相違ない。 彼の家族にユダヤ人種の血が流れているという事は注目すべき事である。後年・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 広い寂しい道路へ私たちは出ていた。松原を切り拓いた立派な道路であった。「立派な道路ですな」「それああなた、道路はもう、町を形づくるに何よりも大切な問題ですがな」彼はちょっと嵩にかかるような口調で応えた。「もっともこの砂礫じ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・池の端仲町の池に臨んだ裏通も亦柳の並木の一株も残らず燬かれてしまった後、池と道路との間に在った溝渠は埋められて、新に広い街路が開通せられた。この溝渠には曾て月見橋とか雪見橋とか呼ばれた小さな橋が幾条もかけられていたのであるが、それ等旧時の光・・・ 永井荷風 「上野」
・・・不断なら月の差すべき夜と見えて、空を蔽う気味の悪い灰色の雲が、明らさまに東から西へ大きな幅の広い帯を二筋ばかり渡していた。その間が白く曇って左右の鼠をかえって浮き出すように彩った具合がことさらに凄かった。余が池辺邸に着くまで空の雲は死んだよ・・・ 夏目漱石 「三山居士」
・・・然るにアリストテレスの論理は、無論自己を包むものではないが、その主語となって述語とならないというヒュポケイメノンは、カントの認識対象というよりも、広い意味を有つということができる。私が考えるという時、その私というのは、一応主語的意義を有つと・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
出典:青空文庫