・・・見れア忰の位牌を丁と床の間に飾ってお膳がすえてあると云う訳なんだ。坊さんは、××大将は浄土だが、私は真言だからというので、わざわざ真言の坊さんを二人まで呼んで、忰のためにお經をあげて下すったがやすよ。 それから、つい近年まで、法事のある・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・人の家の床の間に画幅の掛けられているのを見て、直にその家の主人を以て美術の鑑賞家となす事の当らざるに似ているであろう。世にはまた色紙短冊のたぐいに揮毫を求める好事家があるが、その人たちが悉く書画を愛するものとは言われない。 祖国の自然が・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 子供の時分、わたくしは父の書斎や客間の床の間に、何如璋、葉松石、王漆園などいう清朝人の書幅の懸けられてあったことを記憶している。父は唐宋の詩文を好み、早くから支那人と文墨の交を訂めておられたのである。 何如璋は、明治十年頃から久し・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・ちょうど家を造るために図面を引くと一般で、八畳、十畳、床の間と云うように仕切はついていても図面はどこまでも図面で、家としては存在できないにきまっている。要するに図面は家の形式なのである。したがっていくら形式を拵えてもそれを構成する物質次第で・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・西宮は床の間を背に胡座を組み、平田は窓を背にして膝も崩さずにいた。 西宮は三十二三歳で、むッくりと肉づいた愛嬌のある丸顔。結城紬の小袖に同じ羽織という打扮で、どことなく商人らしくも見える。 平田は私立学校の教員か、専門校の学生か、ま・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ところがカナリヤの夫婦は幸いに引取手があって碧梧桐のうちの床の間に置かれて稗よハコベよと内の人に大事がられて居る。残った二、三羽の小鳥は一番いのチャボにかえられて、真白なチャボは黄なカナリヤにかわって、彼の籠を占領して居る。しかるに残酷なる・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・その煤けた天照大神と書いた掛物の床の間の前には小さなランプがついて二枚の木綿の座布団がさびしく敷いてあった。向うはすぐ台所の板の間で炉が切ってあって青い煙があがりその間にはわずかに低い二枚折の屏風が立っていた。 二人はそこにあったもみく・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・籠の中に散って居るばかりか、一尺も間のある床の間まで、黄色い穀粒は飛んで居る。其にも無頓着で、彼等は、清らかな朝日を浴びて、枝から枝へと遊んで居る。いずれ行儀のわるい「じゅうしまつ」が、例の通り体ごと餌壺に入って、ちっ、ちっと、首を振り振り・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・ 当庵は斯様に見苦しく候えば、年末に相迫り相果て候を見られ候方々、借財等のため自殺候様御推量なされ候事も可有之候えども、借財等は一切無き某、厘毛たりとも他人に迷惑相掛け申さず、床の間の脇、押入の中の手箱には、些少ながら金子貯えおき候えば・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・座敷に通ってからふと床の間を見ると、床柱にかかった鼻まがりの天狗の面が掛け物の上に横面黒像を映している。珍しい面だと思って床柱を見たが、そこにはそんなに大きな面は掛かっていない。では小さい面が光のぐあいで大きく映ったのかしらと床柱の側まで行・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫