・・・地上七十余尺の頂上まで上ってしばらく四方を展望していると思うと、突然石でも落とすようにダイヴするが途中から急に横にそれて、直角双曲線を空中に描きながらどこかの庭木へ飛んで行く。しばらくするとまた煙突の梯子へもどって来てそうして同じ遊戯を繰り・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・崖の上には裏口の門があったり、塀が続いたりして、いい屋敷の庭木がずっと頭の上へ枝を伸ばしていた。昔から持ち続いた港の富豪の妾宅なぞがそこにあった。「あれはどうしたかね、彦田は」「ああすっかり零落れてしまいました。今は京都でお茶の師匠・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・母家から別れたその小さな低い鱗葺の屋根といい、竹格子の窓といい、入口の杉戸といい、殊に手を洗う縁先の水鉢、柄杓、その傍には極って葉蘭や石蕗などを下草にして、南天や紅梅の如き庭木が目隠しの柴垣を後にして立っている有様、春の朝には鶯がこの手水鉢・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・やけたあとの土に庭木は育たなくなった。そのかわり、猛烈な雑草の繁殖力があらわれた。ひとの背たけの倍ほどもある鬼蓼が昔、森鴎外の住んでいた観潮楼のやけあとにも生えた。 一九四六年一月から、日本の現代文学は、平和に向って解放された。人間性の・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・ ○すっかり黄色くなった梧桐の葉、 ○その落葉のひっかかっている槇の木の枝 ○きのうの雨でまだしめっぽく黒く見えている庭木の幹。 離れの方から マンドリンとピアノの合奏がきこえて来る。◎ひどく雨が降っている。・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
・・・ 青い実のついている梅 かさだけ時代もので、胴がよせもののとうろう、 つつじ 杉、しゃぼてんの鉢 ――○―― かた木の庭木 大名竹 槇 周防の花 下ぬりのまま五六年たった壁。 床の間に紫檀の台、・・・ 宮本百合子 「Sketches for details Shima」
・・・からたちの垣に白い花が咲くころ、柔かくゆたかな青草が深くしげったその廃園の趣は、昔、植えられた古い庭木が枝をさしかわししげっているためもあって、云うに云えない好奇のこころを動かされた。からたち垣のこわれたところから、女の子はあこがれのこころ・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・ 庭木は、今年になって、又一本、柔かい、よく草花とあしらう常緑木の一種を殖し、今では、狭い乍ら、可愛ゆい我等の小庭になった。 夏福井から持って来た蘭もある、苔も美しく保たれて居る。あの赤ちゃけて、きたなかった庭は、もう何処にも思い出・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・お金はまだ降っているかしらと思って、耳を澄まして聞いているが、折々風がごうと鳴って、庭木の枝に積もった雪のなだれ落ちる音らしい音がする外には、只方々の戸がことこと震うように鳴るばかりで、まだ降っているのだか、もう歇んでいるのだか分からない。・・・ 森鴎外 「心中」
東京の郊外で夏を送っていると、時々松風の音をなつかしく思い起こすことがある。近所にも松の木がないわけではないが、しかし皆小さい庭木で、松籟の爽やかな響きを伝えるような亭々たる大樹は、まずないと言ってよい。それに代わるものは欅の大樹で、・・・ 和辻哲郎 「松風の音」
出典:青空文庫