・・・彼はただ道に沿うた建仁寺垣に指を触れながら、こんなことを僕に言っただけだった。「こうやってずんずん歩いていると、妙に指が震えるもんだね。まるでエレキでもかかって来るようだ。」 三 彼は中学を卒業してから、一・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・庭はほとんど何も植わっていない平庭で、前面の建仁寺垣の向こう側には畑地があった。垣にからんだ朝顔のつるが冬になってもやっぱりがらがらになって残っていたようである。この六畳が普通の応接間で、八畳が居間兼書斎であったらしい。「朝顔や手ぬぐい掛け・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・彼は窓外を呼び過ぎる物売りの声と、遠い大通りに轟き渡る車の響と、厠の向うの腐りかけた建仁寺垣を越して、隣りの家から聞え出すはたきの音をば何というわけもなく悲しく聞きなす。お妾はいつでもこの時分には銭湯に行った留守のこと、彼は一人燈火のない座・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫