・・・ 哲学者のマッグは弁解するようにこう独り語をもらしながら、机の上の紙をとり上げました。僕らは皆頸をのばし、幅の広いマッグの肩越しに一枚の紙をのぞきこみました。「いざ、立ちてゆかん。娑婆界を隔つる谷へ。 岩むらはこごしく、やま・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・いや弁解しなくっても、信ぜられないと云う事はわかっている。しかし――しかしですね。何故君は西郷隆盛が、今日まで生きていると云う事を疑われるのですか。」「あなたは御自分でも西南戦争に興味を御持ちになって、事実の穿鑿をなすったそうですが、そ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・第四階級のために弁解し、立論し、運動する、そんなばかげきった虚偽もできない。今後私の生活がいかように変わろうとも、私は結局在来の支配階級者の所産であるに相違ないことは、黒人種がいくら石鹸で洗い立てられても、黒人種たるを失わないのと同様である・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・忠義をしようとしながら、周囲の人から極端な誤解を受けて、それを弁解してならない事情に置かれた人の味いそうな心持を幾度も味った。それでも私はもう怒る勇気はなかった。引きはなすようにしてお前たちを母上から遠ざけて帰路につく時には、大抵街燈の光が・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 省作も一生懸命弁解はしたものの何となしきまりが悪い。のみならずあるいはおとよさんにそんな心があるのかとも思われるから、いよいよ顔がほてって胸が鳴ってきた。満蔵はそれ以上を言う働きはないから急いで米を搗きだす。政さんはいよいよ興がって、・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・僕は山から採ってきた、あけびや野葡萄やを沢山座敷中へ並べ立てて、暗に僕がこんな事をして居たから遅くなったのだとの意を示し無言の弁解をやっても何のききめもない。誰一人それをそうと見るものはない。今夜は何の話にも僕等二人は除けものにされる始末で・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・こういう無言の声が僕のあたまに聴えたが、僕はひそかにこれを弁解した。もし不愉快でも妻子のにおいがなお僕の胸底にしみ込んでいるなら、厭な菊子のにおいもまた永久に僕の心を離れまい。この後とても、幾多の女に接し、幾たびかそれから来たる苦しい味をあ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ このとき、子供は、なんといって弁解をしても、彼らはききいれませんでした。そして、つづけざまにに子供をなぐりつけました。これを見た若者は、あまりのことに思って、「なぐらなくてもいいでしょう。口笛を吹いて、鳥を呼んだことと、火事や、泥・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・莫迦莫迦しいことだが、弁解しても始まらぬと、思った。男の無理強いをどうにも断り切れぬ羽目になったらしいと、うんざりした。 しかし、なおも躊躇っていると、「これほど言うても、飲んでくれはれしまへんか」 と男が言った。 意外にも・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・よしんば見つけられても、客引という私の身分が弁解してくれるので、いわば半分おおっぴら。文子が白浜にいる三日というものは、私はもうわれを忘れていました。今想いだしてもなつかしく、また恥しいくらい。 文子は三日いて客といっしょに大阪へ帰った・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫