・・・ 気のいい老父は、よかれ悪かれ三人の父親である耕吉の、泣いて弁解めいたことを言ってるのに哀れを催して、しまいにはこう慰めるようにも言った。ことに老父の怒ったのは、耕吉がこの正月早々突然細君の実家へ離縁状を送ったということについてであった・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・私はいちいち事実を挙げて弁解しなければならなかった。「そんならいいが、もし君が少しでもそんな失敬なことを考えているんだと、僕はたった今からでも絶交するよ。失敬な! 失敬な!」彼はこう繰返した。「いやけっしてそんなことはないよ。そんな・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・貴嬢がいかに深き事情ありと弁解きたもうとも、かいなし、宮本二郎が沈みゆく今のありさまに何の関りあらん。かの三通はげに貴嬢が読むを好みたまわぬも理ぞかし、これを認めしわれ、心乱れて手もふるいければ。されどわれすでにこの三通にて厭き足りぬと思い・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・『御ゆるしのほど願い参らせ候今は二人が間のこと何事も水の泡と相成り候妾は東京に参るべく候悲しさに胸はりさくばかりに候えど妾が力に及び難く候これぞ妾が運命とあきらめ申し候……されど妾決して自ら弁解いたすまじく候妾がかねて想いし事今はまこと・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・そこには相互の間に涙の感謝と思い出と弁解とがあるであろうが、しかもこの人生にもっと厳しい現実の掟は、傷ましき別離を要求せねばやまぬのである。ケーベル博士は「結末をつける事、此れ何たる芸術であろう」といっていられる。動きのとれなくなった愛欲関・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ 彼は弁解がましいことを云うのがいやだった。分る時が来れば分るんだと思いながら、黙っていた。しかし、辛棒するのは、我慢がならなかった。憲兵が三等症にかゝって、病院へ内所で治療を受けに来ることは、珍らしくなかった。そんな時、彼等は、頭を下・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・彼が入ってくると、行けなかったことを弁解した。彼は今度の日を約束して帰った。約束の前の晩、彼はこの前のようなことがないように、と思い、カフェーへ出かけてみた。女は彼にちょうど手紙を出したところだ、と言い、きゅうにまた明日用事ができて行けなく・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・よしんばおせんは、彼女が自分で弁解したように、罪の無いものにもせよ――冷やかに放擲して置くような夫よりは、意気地は無くとも親切な若者を悦んだであろう。それを悦ばせるようにしたものは、誰か。そういうことを機会に別れようとして、彼女の去る日をの・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・一ことの弁解もしなかった。私には、私としての信念があったのだ。けれども、それは、口に出して言っちゃいけないことだ。それでは、なんにもならなくなるのだ。私は、やっぱり歴史的使命ということを考える。自分ひとりの幸福だけでは、生きて行けない。私は・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・しかし多くの場合に、責任者に対するとがめ立て、それに対する責任者の一応の弁解、ないしは引責というだけでその問題が完全に落着したような気がして、いちばんたいせつな物的調査による後難の軽減という眼目が忘れられるのが通例のようである。これではまる・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
出典:青空文庫