・・・ 元来、猫は兎のように耳で吊り下げられても、そう痛がらない。引っ張るということに対しては、猫の耳は奇妙な構造を持っている。というのは、一度引っ張られて破れたような痕跡が、どの猫の耳にもあるのである。その破れた箇所には、また巧妙な補片が当・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・女の子の差し出した手を、その男の児がやけに引っ張る。その女の子は地面へ叩きつけられる。次の子も手を出す。その手も引っ張られる。倒された子は起きあがって、また列の後ろへつく。 見ているとこうであった。男の児が手を引っ張る力加滅に変化がつく・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・どこまで出るかと続けて引っ張るとすらすらとすっかり出る。 自分はそれをいくつにも畳んでみたり、手の甲へ巻きつけたりしていじくる。後には頭から頤へ掛けて、冠の紐のように結んで、垂れ下ったところを握ったまま、立膝になって、壁の摺絵を見つめる・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・いいかげんなことを言って引っ張るくらいなら、いっそきっぱり今のうちに断わるほうが得策だから」「いまさら断わるなんて、僕はごめんだなあ。実際叔父さん、僕はあの人が好きなんだから」 重吉の様子にどこといって嘘らしいところは見えなかった。・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・「それから垣根の朝顔が、茶色に枯れて、引っ張るとがらがら鳴る時分、白い靄が一面に降りて、町の外れの瓦斯灯に灯がちらちらすると思うとまた鉦が鳴る。かんかん竹の奥で冴えて鳴る。それから門前の豆腐屋がこの鉦を合図に、腰障子をはめる」「門前・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・するとその若い人が怒ってね、『引っ張るなったら、先刻たがらいで処さ来るづどいっつも引っ張らが。』と叫んだ。みんなどっと笑ったね。僕も笑ったねえ。そして又一あしでもう頂上に来ていたんだ。それからあの昔の火口のあとにはいって僕は二時間ねむっ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・それで引っ張るように、木の箱の中へ赤坊が入っていた。額に横皺の出たしなびた赤坊が入れてあった。赤坊もそれより大きい子供たちもここではロシアのバラライカを逆に立てたような顔付をしていた。逆三角は人間の顔ではない。だから見る者の心臓にその形が刺・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
出典:青空文庫