・・・ 汗ばんだ猪首の兜、いや、中折の古帽を脱いで、薄くなった折目を気にして、そっと撫でて、杖の柄に引っ掛けて、ひょいと、かつぐと、「そこで端折ったり、じんじんばしょり、頬かぶり。」 と、うしろから婦がひやかす。「それ、狐がいる。・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・おらアもう長着で羽織など引っ掛けてぶらぶらするのは大きらいだ。染めぬいた紺の絣に友禅の帯などを惜しげもなくしめてきりっと締まった、あの姿で手のさえるような仕事ぶり、ほんとに見ていても気が晴々する。なんでも人は仕事が大事なのだから、若いものは・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 省作は出してもらった着物を引っ掛け、兵児帯のぐるぐる巻きで、そこへそのまま寝転ぶ。母は省作の脱いだやつを衣紋竹にかける。「おッ母さん、茶でも入れべい。とんだことした、菓子買ってくればよかった」「お前、茶どころではないよ」と・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ですとも、ほんとにね兄さん、昨日も日が西に傾いて窓から射しこむと机の上に長い影を曳いて、それをぼんやり見ていると何だか哀れぽい物悲しい心持ちがして来ましたが、ふと画の事を考えて、そうだ今だとすぐ画板を引っ掛けて飛び出ました。画のためとなら小・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・何か少し食って、黒ビイルを一杯引っ掛けて帰って、また書いている。 ようよう銀行員の来る前に書いてしまった。右の腕を、虚空を斫るように、猛烈に二三度振って、自分の力量と弾力との衰えないのを試めして見て、独り自ら喜んだ。それから書いたものを・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・そうして電車停留場の安全地帯に立っていたら、通りかかったトラックの荷物を引っ掛けられて上着にかぎ裂きをこしらえた。その同じ日に宅の女中が電車の中へだいじの包みを置き忘れて来たのである。これらは現在の科学の立場から見ればまるで問題にもなにもな・・・ 寺田寅彦 「藤の実」
・・・ 男は大またに右手の栗の木に歩いて行って、下の枝に引っ掛けました。「さあ、今度はおまえが、この網をもって上へのぼって行くんだ。さあ、のぼってごらん。」 男は変なまりのようなものをブドリに渡しました。ブドリはしかたなくそれをもって・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・それから部屋に這入って、洗面卓の傍へ行って、雪が取って置いた湯を使って、背広の服を引っ掛けた。洋行して帰ってからは、いつも洋服を著ているのである。 そこへお母あ様が這入って来た。「きょうは日曜だから、お父う様は少しゆっくりしていらっしゃ・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・僕は人の案内するままに二階へ升って、一間を見渡したが、どれもどれも知らぬ顔の男ばかりの中に、鬚の白い依田学海さんが、紺絣の銘撰の着流しに、薄羽織を引っ掛けて据わっていた。依田さんの前には、大層身綺麗にしている、少し太った青年が恭しげに据わっ・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫