・・・日本の留学生ばかりを弟子にして生活していたのが、大戦の爆発と共に留学生は皆引き上げるし、同時に日本人に対する市民の反感が高まった時に、なんらかのいやな経験をしたのではあるまいか、その後の生計をどうして立てて行ったろうか。これは何かのおりには・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・車夫は草鞋も足袋も穿かずに素足を柔かそうな土の上に踏みつけて、腰の力で車を爪先上りに引き上げる。すると左右を鎖す一面の芒の根から爽かな虫の音が聞え出した。それが幌を打つ雨の音に打ち勝つように高く自分の耳に響いた時、自分はこの果しもない虫の音・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・ これらの作品は、非常に複雑で熱い意欲をたくみに圧縮しつつ心を打つ力をもっていると思われますし、別な例では、ようやく終った所長の訓示ヒヤカシ半分に拍手浴びせワッと喊声あげて職場へ引き上げる。など、この前にあ・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
・・・これで一家の顔が揃い、私は病人に戻ってよいわけですが、泰子を誰がひき受けるかということもきまらず、女中の一人が兄貴にけんかをふっかけさせて引き上げるという次第で、口の先では病人に戻ることを我れも人もやかましく言っているけれど、なかなかです。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ ――帽子見に行ったもんだから…… 三月八日、СССРの工場で婦人労働者は毎年一時間早く職場を引き上げる。 ベルを鳴らしながら議長が立ち上った。細い年齢のあらわれてる透る声で報告した。 ――何々区コムソモール委員会代表タワー・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
・・・な作用で存在し得るためには、少くとも批判の精神と規準とが、或る場合その芸術家の主観をも超えて鞭うち、観察自省せしめ、引き上げるだけの勇気ある誠実な客観性を具えていなければならない。主観に甘えた批評の態度が創作の芸術価値を低下させる実例を、伊・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・そして他の若者たちは躍り掛かって、肩をあてて一気に舟を引き上げる。こうして次から次へと数十艘の舟が陸へ上げられるのである。陸上の人数はますます殖える。舟はますますおもしろそうに上がって来る。老人と子供と女房たちは綱に捕まって快活に跳ねている・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫