・・・ その生涯のきわめて戯曲的であった日蓮は、その死もまた牧歌的な詩韻を帯びたものであった。 弘安五年九月、秋風立ち初むるころ、日蓮は波木井氏から贈られた栗毛の馬に乗って、九年間住みなれた身延を立ち出で、甲州路を経て、同じく十八日に武蔵・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・同じ筆法で行けば弘安四年六月三十日から七月一日へかけて玄界灘を通過した低気圧は我邦の存亡に多大の影響があったのである。もし当時元軍に現時の気象学の知識があったなら、あの攻撃はあるいはもう数ヶ月延期したかもしれない。 日露戦役の際でも我軍・・・ 寺田寅彦 「戦争と気象学」
・・・ 弘安四年に日本に襲来した蒙古の軍船が折からの颱風のために覆没してそのために国難を免れたのはあまりに有名な話である。日本武尊東征の途中の遭難とか、義経の大物浦の物語とかは果して颱風であったかどうか分らないから別として、日本書紀時代におけ・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・これが戦禍と重なり合って起こったとしたらその結果はどうなったであろうか、想像するだけでも恐ろしいことである。弘安の昔と昭和の今日とでは世の中が一変していることを忘れてはならないのである。 戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられ・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
出典:青空文庫