・・・余り早いので人通は少し、これには実に弱りました。或朝などは怖々ながらも、また今にも吠えられるか噛みつかれるかと思って、其犬の方ばかり見て往ったものだから、それに気をとられて路の一方の溝の中へ落ちたことがあった。別段怪我もしなかったが、身体中・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ されどとかくする中、さしもの雷雨もいささか勢弱りければ、夜に入らぬ中にとてまた車を駛せ、秩父橋といえるをわたる。例の荒川にわたしたるなれば、その大なるはいうまでもなく、いといかめしき鉄の橋にて、打見たるところ東京なる吾妻橋によく似かよ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・気の多いとしまわりで弱ります。」 僕はころげるようにして青扇の家から出て、夢中で家路をいそいだものだ。けれど少しずつ落ちつくにつれて、なんだか莫迦をみたというような気がだんだんと起って来たのである。また一杯くわされた。青扇の思い詰めたよ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ おからだがいよいよお弱りになっていらっしゃるのが私にはちゃんとわかっていましたが、何せ奥さまは、お客と対する時は、みじんもお疲れの様子をお見せにならないものですから、お客はみな立派そうなお医者ばかりでしたのに、一人として奥さまのお具合・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・このような客観的の認識、自問自答の気の弱りの体験者をこそ、真に教養されたと言うてよいのだ。異国語の会話は、横浜の車夫、帝国ホテルの給仕人、船員、火夫に、――おい! 聞いて居るのか。はい、わたくし、急にあらたまるあなたの口調おかしくて、ふとん・・・ 太宰治 「創生記」
・・・話そうとすると、何を言うんですと言ッて腹を立つッて、平田は弱りきッていたんだ」「だッて、私ゃ否ですもの」と、吉里は自分ながらおかしくなったらしくにっこりした。「それ御覧。それだもの。平田が談話すことが出来るものか。お前さんの性質も、・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・二日ばかりして、また来ていうことには、「どうも弱りました。製紙会社が合同して王子へ独占になったような形なので、競争がなくなったもんですから、一般に紙質をわるくしてしまったんだそうです。同じ名や番号の紙でもやっぱり質は下って来ているんで、どう・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・けれども、そのとき、愛するイエニーが弱りはじめた。苦痛の多い経過の長い癌と闘わなければならなかった。六十六歳のイエニーは、もう稀にしか起きられなくなった。いとしい「モール」がこの年は肋膜炎で絶望となった。「それは恐ろしい時でした。」「あんな・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・今度は淀橋にいた時から注意をそこに集めていましたが徐々に弱り、父の亡くなった前後、非常に不安定な状態になりました。本来はその時最も入院が必要でした。けれどもその都合にゆかず、予審が終ってから即ち目下養生をしているという次第です。お医者様は私・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ が、もうすっかり弱りきっている。 心臓の鼓動は微かながら続いているから、生きてはいるのだが、見るも恐ろしいような形相をして絶息している。 もう一刻の猶予もされない。 水を吐かせ、暖め摩擦し、そのときそこで出来るだけの手当が・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫