・・・今君は弱冠にして奇功多し。願わくは他日忸れて初心を忘るるなかれ。余初めて書を刊して、またいささか戒むるところあり。今や迂拙の文を録し、恬然として愧ずることなし。警戒近きにあり。請う君これを識れと。君笑って諾す。すなわちその顛末を書し、もって・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・ 次のペエジにその賢者素知らぬ顔して、記し置きける、「青春は空に過ぎず、しかして、弱冠は、無知に過ぎず。」 むかし、フランソワ・ヴィヨンという、巴里生まれの気の小さい、弱い男が、「ああ、残念! あの狂おしい青春の頃に・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ わたくしが弱冠の頃、初めて吉原の遊里を見に行ったのは明治三十年の春であった。『たけくらべ』が『文芸倶楽部』第二巻第四号に、『今戸心中』が同じく第二巻の第八号に掲載せられたその翌年である。 当時遊里の周囲は、浅草公園に向う南側千束町・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 唖々子は弱冠の頃式亭三馬の作と斎藤緑雨の文とを愛読し、他日二家にも劣らざる諷刺家たらんことを期していた人で、他人の文を見てその病弊を指してきするには頗る妙を得ていた。一葉女史の『たけくらべ』には「ぞかし」という語が幾個あるかと数え出し・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・概してこれを弱冠の年齢といわざるをえず。たとい天稟の才あるも、社会人事の経験に乏しきは、むろんにして、いわば無勘弁の少年と評するも不当に非ざるべし。この少年をして政治・経済の書を読ましむるは危険に非ずや。政治・経済、もとよりその学を非なりと・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・ されば余が弱冠の時より今日にいたるまでの生活は、悉皆偶然に出でたる僥倖にして、その然るゆえんは必ずしも余が暗愚、先見の明なきがために非ず。時勢の変遷、これを前知する能わざるは、誰れ人も一様なるその中に、余が志し、また企てたる事は、あた・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・その言にいわく、近来我が国の子弟は、その品行ようやく軽薄におもむき、父兄の言を用いず、長老の警をかえりみず、はなはだしきは弱冠の身をもって国家の政治を談じ、ややもすれば上を犯すの気風あるが如し。ひっきょう、学校の教育不完全にして徳育を忘れた・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
出典:青空文庫