・・・を弾きはじめるのです。あの流れる炎のように情熱の籠った歌ですね。妙子は大きい椰子の葉の下にじっと耳を傾けている。そのうちにだんだん達雄に対する彼女の愛を感じはじめる。同時にまた目の前へ浮かび上った金色の誘惑を感じはじめる。もう五分、――いや・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・ですから私は雨の脚を俥の幌に弾きながら、燈火の多い広小路の往来を飛ぶように走って行く間も、あの相乗俥の中に乗っていた、もう一人の人物を想像して、何度となく恐しい不安の念に脅かされました。あれは一体楢山夫人でしたろうか。あるいはまた束髪に薔薇・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 陳の語気には、相手の言葉を弾き除けるような力があった。「何もありません。奥さんは医者が帰ってしまうと、日暮までは婆やを相手に、何か話して御出ででした。それから御湯や御食事をすませて、十時頃までは蓄音機を御聞きになっていたようです。・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・ その時お栄は御弾きをしながら、祖母の枕もとに坐っていましたが、隠居は精根も尽きるほど、疲れ果てていたと見えて、まるで死んだ人のように、すぐに寝入ってしまったとか云う事です。ところがかれこれ一時間ばかりすると、茂作の介抱をしていた年輩の・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・のみならず彼等のまん中には耳隠しに結った女が一人熱心にマンドリンを弾きつづけていた。僕は忽ち当惑を感じ、戸の中へはいらずに引き返した。するといつか僕の影の左右に揺れているのを発見した。しかも僕を照らしているのは無気味にも赤い光だった。僕は往・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・金三は右のちんぼ芽を、良平は左のちんぼ芽を、それぞれ爪で弾きながら、露の玉を落してやった。「太いねえ!――」 良平はその朝もいまさらのように、百合の芽の立派さに見惚れていた。「これじゃ五年経っただね。」「五年ねえ?――」・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・仁右衛門は一片の銀貨を腹がけの丼に入れて見たり、出して見たり、親指で空に弾き上げたりしながら市街地の方に出懸けて行った。 九時――九時といえば農場では夜更けだ――を過ぎてから仁右衛門はいい酒機嫌で突然佐藤の戸口に現われた。佐藤の妻も晩酌・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 三味を弾かせると、ぺこんぺこんとごまかし弾きをするばかり。面白くもないが、僕は酔ったまぎれに歌いもした。「もう、よせよせ」僕は三味線を取りあげて、脇に投げやり、「おれが手のすじを見てやろう」と、右の手を出させたが、指が太く短くッて・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・その頃椿岳はモウ世間の名利を思切った顔をしていたが、油会所の手代時代の算盤気分がマダ抜けなかったと見えて、世間を驚かしてやろうという道楽五分に慾得五分の算盤玉を弾き込んで一と山当てるツモリの商売気が十分あった。その頃どこかの気紛れの外国人が・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・かたわらには三人の美しい姉妹の娘らがいて、一人は大きなピアノを弾き、一人はマンドリンを鳴らし、一人はなにか高い声で歌っていました。それが歌い終わると、にぎやかな笑い声が起こって楽しそうにみんなが話をしています。じいさんは喜んで、笑い顔をして・・・ 小川未明 「青い時計台」
出典:青空文庫