・・・ けれども当人の半三郎だけは復活祝賀会へ出席した時さえ、少しも浮いた顔を見せなかった。見せなかったのも勿論、不思議ではない。彼の脚は復活以来いつの間にか馬の脚に変っていたのである。指の代りに蹄のついた栗毛の馬の脚に変っていたのである。彼・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・これは、当人が、手前に話しました――何も、その男に惚れていたの、どうしたのと云う訳じゃない。が、その縄目をうけた姿を見たら、急に自分で、自分がいじらしくなって、思わず泣いてしまったと、まあこう云うのでございますがな。まことにその話を聞いた時・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・詩を書く人を他の人が詩人と呼ぶのは差支ないが、その当人が自分は詩人であると思ってはいけない、いけないといっては妥当を欠くかもしれないが、そう思うことによってその人の書く詩は堕落する……我々に不必要なものになる。詩人たる資格は三つある。詩人は・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・……御当人、それで巌飛びに飛移って、その鯉をいきなりつかむと、滝の上へ泳がせたじゃありませんか。」「説明に及ばず。私も一所に見ていたよ。吃驚した。時々放れ業をやる。それだから、縁遠いんだね。たとえばさ、真のおじきにした処で、いやしくも男・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
ただ仰向けに倒れなかったばかりだったそうである、松村信也氏――こう真面目に名のったのでは、この話の模様だと、御当人少々極りが悪いかも知れない。信也氏は東――新聞、学芸部の記者である。 何しろ……胸さきの苦しさに、ほとん・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・吉弥の顔が見たいのと、例の決心を確かめたいのであったが、当人の決心がまず本統らしく見えると、すぐまた僕はその親の意見を聴きにやらせた。親からは近々当地へ来るから、その時よく相談するという返事が来たと、吉弥が話した。僕一個では、また、ある友人・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「お母の大弾みはそのはずだが、当人のお仙ちゃんはどうなんだい?」「どうと言って、別にこうと決った考えがあるのでもないから、つまり阿母さん次第さ。もっともあの娘の始めの口振りじゃ、何でも勤人のところへ行きたい様子で、どうも船乗りではと・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・に式で喋りました。当人にしかおもしろくないような子供のころの話を、ポソポソと不景気な語り口で語ってみたところでしかたがない。嘘でなきゃあ誰も子供のころの話なんか聞くものかという気持だったから、自然相手の仁を見た下司っぽい語り口になったわけ、・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・結び目をぐるりとうしろへ廻すのを忘れたのか、それとも不精で廻さないのか、いや、当人に言わせると、前に結ぶ方がイキだというのである。バンドは前に飾りがついているし、女は帯の上に帯紐をするし、おまけにその紐は前で結んでいるではないか、男の帯だっ・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・けれども御当人は例によって夢中である。「どうです、一片の肉塊を艇内に残して海中に墜落したるものなり――なんという悲壮な最後だろう、僕は何度読んでも涙がこぼれる」 酔いが回って来たのか、それとも感慨に堪えぬのか、目を閉じてうつらうつら・・・ 国木田独歩 「号外」
出典:青空文庫