・・・これを称して当代の珍と云う、敢て首肯せざるものは皆偏に南瓜を愛するの徒か。 芥川竜之介 「佐藤春夫氏の事」
・・・しかし当代の文士を挙げて滝田君の世話になったと言うならば、それは故人に佞するとも、故人に信なる言葉ではあるまい。成程僕等年少の徒は度たび滝田君に厄介をかけた。けれども滝田君自身も亦恐らくは徳田秋声氏の如き、或は田山花袋氏の如き、僕等の先輩に・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎氏」
・・・そしてその人の芸術は、当代でいえば、その人をプティ・ブルジョアにでも仕上げてくれれば、それで目的をはたしたと言ってもいいような芸術である。芸術家というものの立場より言うならば第一の種類の人は最も敬うべき純粋な芸術家であり、第二の種類の人は、・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・給うかと尋ぬれば、後より来る若侍、その化物はかようの者かと、俄に面替り眼は皿のごとくにて額に角つき、顔は朱のごとく、頭の髪は針のごとく、口、耳の脇まで切れ歯たたきしける…… というもの、知己を当代に得たりと言うべし。 さて本文の・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・唯、不幸にして描かれた男女の世界が、当代の風潮に反していたことと、それに、あの中の大阪的なものが、東京の評家の神経にふれて、その点が妙な反感となったのかも知れないと思う。これは、織田氏にとっては単なる不幸として片附け得ると思う。東京の評家と・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・時代が人物を生み、人物が時代を作るという言葉があるが、かれは明治の時代を作るために幾分の力を奮った男であって、それでついにこの時代の精神に触れず、この時代の空気を呼吸していながら今をののしり昔を誇り、当代の豪傑を小供呼ばわりにしてひそかに快・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・弟余を顧みて曰く、秀吉の時代、義経の時代、或は又た明治の初年に逢遇せざりしを恨みしは、一、二年前のことなりしも、今にしては実に当代現今に生れたりしを喜ぶ。後世少年吾等を羨むこと幾許ぞと。余、甚だ然りと答へ、ともに奮励して大いに為すあらんこと・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・唯り文士としての兆民先生其人に至っては、実に明治当代の最も偉大なるものと言わねばならぬ。 先生、姓は中江、名は篤介、兆民は其号、弘化四年土佐高知に生れ、明治三十五年、五十五歳を以て東京に歿した。二 先生の文は殆ど神品であ・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・先代の太左衛門さんは、ふとっていらっしゃいましたから、太左衛門というお名前もよく似合っていましたが、当代の太左衛門さんは、痩せてそうしてイキでいらっしゃるから、羽左衛門さんとでもお呼びしたいようでした。でも、皆さんがいいお方のようですね。こ・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・それは当代にあってはずいぶんラジカルな意見であろうと思われる。 彼の好色物に現われた性生活の諸相の精細な描写記録は、この人間界の最も深刻な事実を事実として客観的に集輯したものであるには相違ないが、彼がそういうものを著述する際における彼の・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
出典:青空文庫