・・・――手紙の往復をするようになった。蛇笏君の書は予想したように如何にも俊爽の風を帯びている。成程これでは小児などに「いやに傲慢な男です」と悪口を云われることもあるかも知れない。僕は蛇笏君の手紙を前に頼もしい感じを新たにした。春雨の中や雪お・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・僕は電車の線路に沿い、何度もタクシイを往復させた後、とうとうあきらめておりることにした。 僕はやっとその横町を見つけ、ぬかるみの多い道を曲って行った。するといつか道を間違え、青山斎場の前へ出てしまった。それはかれこれ十年前にあった夏目先・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 七十の老が、往復六里。……骨董屋は疾に夜遁げをしたとやらで、何の効もなく、日暮方に帰ったが、町端まで戻ると、余りの暑さと疲労とで、目が眩んで、呼吸が切れそうになった時、生玉子を一個買って飲むと、蘇生った心地がした。……「根気の薬じ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・そういう境遇のところへ、隣のことであるから、自然省作の家と往復して、省作の人柄が、温和なうちにちゃんとしたところがあり、学問とて清六などの比ではない、そのほかおとよさんとどこか気のあったところのあるので、おとよさんはついに思いをよせる事にな・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・それが田舎行きとなると、幾度も往復しなけりゃアならないことがございます。今度だッてもこの子の代りを約束しに来たんですよ、それでなければ、どうして、このせちがらい世の中で、ぼんやり出て来られますものですか?」「代りなど拵えてやらないがいい・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 私は夏目さんとは十年以上の交際を続けたが、余り頻繁に往復しなかったせいでもあろうけれども、ただの一度も嫌な思いをさせられたことがない。なるほど、時としてはつむじ曲りだと世間に言われるような事もあったか知れない。千駄木にいられた頃だった・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・一里や二里位の路を往復することは、なんでもなかった。しかし、これがために、今日、近距離を行くにさへたる、境遇について、不平を言い、抗議することを知らない。いつも受動的であり、どんなとこにでも甘んじなければならぬ。それを考うる時、四六時中警笛・・・ 小川未明 「児童の解放擁護」
・・・橋の近くにある倉庫会社に勤めていて、朝夕の出退時間はむろん、仕事が外交ゆえ、何度も会社と訪問先の間を往復する。その都度せかせかとこの橋を渡らねばならなかった。近頃は、弓形になった橋の傾斜が苦痛でならない。疲れているのだ。一つ会社に十何年間か・・・ 織田作之助 「馬地獄」
・・・それからまた、ちょうどパラパラ落ちてきた雨の中を、墓まで往復した。これで百カ日の法事まですっかりすんだというわけであった。「その代り三年忌には、どうかしたいと思いますね。その時にはいっしょの仏様もだいぶあるようだから。今度はこんなことで・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・これから毎日学校へ出るとして一日往復いくらになるか電車のなかで暗算をする。何度やってもしくじった。その度たびに買うのと同じという答えが出たりする。有楽町で途中下車して銀座へ出、茶や砂糖、パン、牛酪などを買った。人通りが少い。ここでも三四人の・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
出典:青空文庫