・・・無論、学校の立場からして当然のことでもあったろうが、選科生というものは非常な差別待遇を受けていたものであった。今いった如く、二階が図書室になっていて、その中央の大きな室が閲覧室になっていた。しかし選科生はその閲覧室で読書することがならないで・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・月朔日、社友早矢仕氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめて厚く、塾舎・講堂、残るところ・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・例えば今日の実際において、吾人の家に外国人の来るあれば、先ずこれを珍客として様々に待遇の備えを設け、とにかくに見苦しからぬようにと心配するは人情の常なり。また、これを大にして都鄙の道路橋梁、公共の建築等に、時としては実用のほかに外見を飾るも・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・お前たちの仲間もあちこちに、ずいぶんあるし又私も、まあよく知っているのだが、でそう云っちゃ可笑しいが、まあ私の処ぐらい、待遇のよい処はない。」「はあ。」豚は返事しようと思ったが、その前にたべたものが、みんな咽喉へつかえててどうしても声が・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・いくら、待遇改善しても、月給は物価に追いつく時は決してない。これがインフレーションの特徴である。めいめいの財布は空となって、遂にほうり出されている形である。闇の循環で、細々生きているような生命の扱いかたをどんな婦人がよろこばしいと思うだろう・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・若い男や女の勤労者が、真に健康に、立派に階級の前衛として育つために、ソヴェト同盟では、男女青年労働者の待遇の徹底的改善を決定したのである。 その教室を出て、もう一つの教室へ行くと、そこでは若い生徒ではない、もう四十五十の小父さん小母さん・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・ 腹立たしい様な調子でぶつぶつ祖母は小さい妹の待遇法について不平を云った。「兄弟が多いからでしょう、仕方がありませんよねえ。今度病気がよくなったらこっちでお育てなさるといい。楽しみにもなるしするから。「何! なおるもんで・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・日英同盟していた小さい日本が、ロシアに勝ったということで、在留民の少いロンドンで父の受けた特別待遇は著しかったらしい。ノギ・トウゴーの名が建築家である若い父のまわりで鳴りひびいた。エドワード七世即位式の道すじに座席が与えられた。そういう父か・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・これは遠い親戚に当るので、奉公人やら客分やら分からぬ待遇を受けて、万事の手伝をしたのである。次に赤坂の堀と云う家の奥に、大小母が勤めていたので、そこへ手伝に往った。次に麻布の或る家に奉公した。次に本郷弓町の寄合衆本多帯刀の家来に、遠い親戚が・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・実際そのころの先生は、力量相応の待遇を受けてはいなかったのである。 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫