・・・つくろわねどもおのずからなる百の媚は、浴後の色にひとしおの艶を増して、後れ毛の雪暖かき頬に掛かれるも得ならずなまめきたり。その下萌えの片笑靨のわずかに見えたる、情を含む眼のさりとも知らず動きたる、たおやかなる風采のさらに見過ごしがてなる、あ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・しばらくの別れを握手に告ぐる妻が鬢の後れ毛に風ゆらぎて蚊帳の裾ゆら/\と秋も早や立つめり。台所に杯盤の音、戸口に見送りの人声、はや出立たんと吸物の前にすわれば床の間の三宝に枳殼飾りし親の情先ず有難く、この枳殼誤って足にかけたれば取りかえてよ・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 流行もなにもないぼってりした恰好で、後れ毛を頬にたらした無学なおとなしいグラフィーラは、自分達の家庭へ他人があばれ込むのも制御出来ない。而も、彼女は今辛い心持をやっと押えているのであった。さっきアイロンをかけるためにドミトリーの上着を・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ 病後の様に髭を生やして、黒目鏡をかけた貧しげな父親の前に、お君は、頬や口元に、後れ毛をまといつけながら子供の様に啜泣いて居た。 ほんによう来とくれやはった、 まっとんたんえ、父はん。 口下手なお君には、これ以上・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 何でもない人だったんだけれ共後れ毛をかきあげた小指の変な細さが目について忘られない人の仲間入りしたんですよ、 十七位の娘でしたけど。 そうして思い出す時には一番始めに前髪の処にあがった小指から頸から前髪から眼と云う順でしたよ、・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
出典:青空文庫