・・・「一体十九世紀の前半の作家はバルザックにしろサンドにしろ、後半の作家よりは偉いですね」客は――自分ははっきり覚えている。客は熱心にこう云っていた。 午後にも客は絶えなかった。自分はやっと日の暮に病院へ出かける時間を得た。曇天はいつか雨に・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・現代の日本は暫く措いても、十四世紀の後半において、日本の西南部は、大抵天主教を奉じていた。デルブロオのビブリオテエク・オリアンタアルを見ると、「さまよえる猶太人」は、十六世紀の初期に当って、ファディラの率いるアラビアの騎兵が、エルヴァンの市・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・これに後半期を入れて一ヶ年にしたら、夥しき数に上るでありましょう。この点近代人が、木版、手摺の昔の出版界時代を幼穉に感ずるのも無理がありません。 しかし、こうして月々出版された書物はどこへ行くのか。何人も時にこれを疑わぬものはないであり・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・のして、日本の伝統小説の日常性に反抗して虚構と偶然を説き、小説は芸術にあらずという主張を持つ新しい長編小説に近代小説の思想性を獲得しようと奮闘した横光利一の野心が、ついに「旅愁」の後半に至り、人物の思考が美術工芸の世界へ精神的拠り所を求める・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ころ一面が真白にガバ/\に凍えている、夜中に静かになると、突然ビリン、ビリンともののわれる音がする、家をすっかり閉め切って、ストーヴをドシ/\燃しても、暑いのはストーヴに向いている身体の前の方だけで、後半方は冷え冷えとするのだ。窓硝子は部厚・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・の作者、HERBERT EULENBERG は、十九世紀後半のドイツの作家、あまり有名でない。日本のドイツ文学の教授も、字典を引かなければ、その名を知る能わず、むかし森鴎外が、かれの不思議の才能を愛して、その短篇、「塔の上の鶏」および「女の・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ 山川草木うたたあ荒涼 十里血なまあぐさあし新戦場 しかも、後半は忘れたという。「さ、帰るぞ、俺は。お前のかかには逃げられたし、お前のお酌では酒がまずいし、そろそろ帰るぞ」 私は引きとめなかった。 彼は立・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・ この映画の前半はいかにも昔のロンドンのような気分があるのに後半はなんとなく近代のベルリーンあたりのような気持ちになるのが不思議である。それで前半ではドイツ語が不自然に聞こえ、後半ではそれが当然に聞こえる。 音楽はなかなかおもしろい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・それで第一声の前半の反響がほぼその第一声の後半と重なり合って鳥の耳に到着する勘定である。従って鳥の地上高度によって第一声前半の反響とその後半とがいろいろの位相で重なり合って来る。それで、もしも鳥が反響に対して充分鋭敏な聴覚をもっているとした・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
幼い時に両親に連れられてした長短色々の旅は別として、自分で本当の意味での初旅をしたのは中学時代の後半、しかも日清戦争前であったと思うから、たぶん明治二十六年の冬の休暇で、それも押詰まった年の暮であったと思う。自分よりは一つ・・・ 寺田寅彦 「初旅」
出典:青空文庫