・・・その前のとしのひと夏を、水上駅から徒歩で一時間ほど登って行き着ける谷川温泉という、山の中の温泉場で過した。真実くるし過ぎた一夏ではあったが、くるしすぎて、いまでは濃い色彩の着いた絵葉書のように甘美な思い出にさえなっていた。白い夕立の降りかか・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・銀座のその雑誌社から日本橋のアパートへ帰るのに、省線か徒歩か、いずれにしても、新橋で飲むのが一ばん便利だったものですから、僕はたいていあの新橋辺の屋台を覗きまわっていたのでした。 いつか、柳田という、れいの抜け目の無い、自分で自分の顔の・・・ 太宰治 「女類」
・・・市ヶ谷の女学校に徒歩で通っていたのですが、あのころは、私は小さい女王のようで、ぶんに過ぎるほどに仕合せでございました。父が四十で浦和の学務部長をしていたときに私が生れて、あとにも先にも、子供といえば私ひとりだったので、父にも母にも、また周囲・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・ 二 夜、丸の内の淋しい町を歩いていたとき、子供を負ぶった見窄らしい中年の男に亀井戸玉の井までの道を聞かれ、それが電車でなく徒歩で行くのだと聞いて不審をいだき、同情してみたり、また嘘つきのかたりではないかと疑・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
比較的新しい地質時代に日本とアジア大陸とは陸続きになっていて、象や犀の先祖が大陸からの徒歩旅行の果に、東端の日本の土地に到着し、現在の吾々の住まっているここらあたりをうろついていたということは地質学者の研究によって明らかに・・・ 寺田寅彦 「短歌の詩形」
・・・このケーブル線路の上の方の部分は近頃の噴火に破壊されていたので徒歩の外に途はなかった。風があまりに強いために他の乗客は皆登山を断念して引返したので結局この二人の日本人だけが登ることになった。地理学書でもまた物語でも読んで知っていたアトリオ・・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・その講談は老人の猶衰えなかった頃徒歩して昼寄席に通い、其耳に親しく聴いたものに較べたなら、呆れるばかり拙劣な若い芸人の口述したものである。然し老人は倦まずによく之を読む。 わたくしが菊塢の庭を訪うのも亦斯くの如くである。老人が靉靆の力を・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・しかし時間の計算から、それが私の家の近所であること、徒歩で半時間位しか離れていないいつもの私の散歩区域、もしくはそのすぐ近い範囲にあることだけは、確実に疑いなく解っていた。しかもそんな近いところに、今まで少しも人に知れずに、どうしてこんな町・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・しかるに楽天の徒歩旅行というのはあるいは政治経済の事より教育の事、工業の事を記し、あるいは旅行里程宿泊料等個人的のものをも記し、あるいは衣服飲食などを論じて菓子の品評さえする事もある。その目的は実に複雑であって、そうして一日の記事を凡そ新聞・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・北鮮の新幕から三十八度線をこえて開城につくまでの徒歩行進の辛苦の描写は強烈で、一篇のクライマックスとなっているのであるが、著者は、新京から引揚げの開始された八月九日の夜から一ヵ年の苦しい月日のうちに起ったできごとを、その身でぶつかり、たたか・・・ 宮本百合子 「ことの真実」
出典:青空文庫