・・・岡田氏はもし事実とすれば、「多分馬の前脚をとってつけたものと思いますが、スペイン速歩とか言う妙技を演じ得る逸足ならば、前脚で物を蹴るくらいの変り芸もするか知れず、それとても湯浅少佐あたりが乗るのでなければ、果して馬自身でやり了せるかどうか、・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・これからは一人の主に身も心も献げ得る嬉しい境涯が自分を待っているのだ。 クララの顔はほてって輝いた。聖像の前に最後の祈を捧げると、いそいそとして立上った。そして鏡を手に取って近々と自分の顔を写して見た。それが自分の肉との最後の別れだった・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・歌の調子はまだまだ複雑になり得る余地がある。昔は何日の間にか五七五、七七と二行に書くことになっていたのを、明治になってから一本に書くことになった。今度はあれを壊すんだね。歌には一首一首各異った調子がある筈だから、一首一首別なわけ方で何行かに・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・目を見交したばかりで、かねて算した通り、一先ず姿を隠したが、心の闇より暗かった押入の中が、こう物色の出来得るは、さては目が馴れたせいであろう。 立花は、座敷を番頭の立去ったまで、半時ばかりを五六時間、待飽倦んでいるのであった。(まず・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・が生命の大部分といった言葉の意味だけはわかるであろうが、かくのごとき境遇から起こってくるときどきのできごととその事実は、君のような大船に安乗して、どこを風が吹くかというふうでいらるる人のけっして想像し得ることではないのだ。 こころ満ちた・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・が、師伝よりは覚猷、蕪村、大雅、巣兆等の豪放洒落な画風を学んで得る処が多かったのは一見直ちに認められる。 かつ何でも新らしもの好きで、維新後には洋画を学んで水彩は本より油画までも描いた。明治の初年に渡来した英国人の画家ワグマンとも深く交・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・私はたびたび聞いて感じまして、今でも心に留めておりますが、私がたいへん世話になりましたアーマスト大学の教頭シーリー先生がいった言葉に「この学校で払うだけの給金を払えば学者を得ることはいくらでも得られる。地質学を研究する人、動物学を研究する人・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・一つの事実をじっと凝視するという事は、即ち凝視そのものが私はある意味で愛そのものだと云い得ると思う。この意味から自分の敵に対しても凝視を怠ってはならぬ。 私一個の考から云えば、人を愛するという事も、憎むという事も同じである。憎み切ってし・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・私は志賀直哉の新しさも、その禀質も、小説の気品を美術品の如く観賞し得る高さにまで引きあげた努力も、口語文で成し得る簡潔な文章の一つの見本として、素人にも文章勉強の便宜を与えた文才も、大いに認める。この点では志賀直哉の功を認めるに吝かではない・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・俺の秘密な心のなかだけの空想が俺自身には関係なく、ひとりでの意志で著々と計画を進めてゆくというような、いったいそんなことがあり得ることだろうか。それともこんな反省すらもちゃんと予定の仕組で、今もしあの男の影があすこへあらわれたら、さあいよい・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
出典:青空文庫