・・・「旦那さんどちらで御座います。お安く参りましょう、どうかお乗りなして」という。力のない細い声で、如何にも淋しい風をした車屋である。予はいやな気持がしたので、耳も貸さずに待合室へ廻った。明日帰る時の用意に発車時間を見て置くのと、直江津なる・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ハッと思って女中を呼んで聞くと、ツイたった今おいでになって、先刻は失礼した、宜しくいってくれというお言い置きで御座いますといった。 考えるとコッチはマダ無名の青年で、突然紹介状もなしに訪問したのだから一応用事を尋ねられるのが当然であるの・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・或は寧ろ私の望む処で御座います。けれども理由を被仰い、是非其の理由を聞きましょう。』と酔に任せて詰寄りました。すると母は僕の剣幕の余り鋭いので喫驚して僕の顔を見て居るばかり、一言も発しません。『サア理由を聞きましょう。怨霊が私に乗移って・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・「ハア、お出で御座います、貴様は?」と片眼の細顔の、和服を着た受付が丁寧に言った。「これを」と出した名刺には五号活字で岡本誠夫としてあるばかり、何の肩書もない。受付はそれを受取り急いで二階に上って去ったが間もなく降りて来て「どう・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・貴下は何時ごろお正さんを御存知で御座います?」「左様サ、お正さんが二十位の時だろう、四年前の事だ、だからお正さんは二十四の春嫁いたというものだ。」「全く左様で御座います。」と女主人は言って、急に声をひそめて、「処が可哀そうに余り面白・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・「お早う御座い」と言いつつ縁先に廻って「朝ぱらから御勉強だね」「折角の日曜もこの頃はつぶれで御座います」「ハハハハッ何に今に遊ばれるよ、学校でも立派に出来あがったところで、しんみりと戦いたいものだ、私は今からそれを楽みに為ている・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・木戸が出来たと聞いて洋服のまま下駄を突掛け勝手元の庭へ廻わり、暫時は木戸を見てただ微笑していたが、お徳が傍から「旦那様大変な木戸で、御座いましょう」と言ったので「これは植木屋さんが作らえたのか」「そうで御座います」「随分妙な・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・「相変らず元気で御座います」「フンそうか、それは結構じゃ、狂之助は?」「御丈夫のようで御座います」「そうか、今度逢ったら乃公が宜く言ったと言っとくれ!」「承知致しました」「ちっと手紙でもよこせと言え。エ、侯爵面して古・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・「否エ、怒るどころか、貴姉宜く来て下すって真実に嬉れしう御座います、局の人が色々なことを言っているのは薄々知っていましたが、私は無理はないと思いますわ……」と、 さも悲しげにお秀は言って、ほっと嘆息を吐いた。「何故。私は口惜いこ・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・「どうも是という芸は御座いませんが、尺八ならすこしひねくったことも――」と、男は寂しそうに笑い乍ら答えた。「むむ、尺八が吹けるね。それ見給え、そういう芸があるなら売るが可じゃないか。売るべし。売るべし。無くてさえ売ろうという今の世の・・・ 島崎藤村 「朝飯」
出典:青空文庫