・・・牧野がすぐ後を歩きながら、とうとう相手に気づかれなかったのも、畢竟は縁日の御蔭なんだ。「往来にはずっと両側に、縁日商人が並んでいる。そのカンテラやランプの明りに、飴屋の渦巻の看板だの豆屋の赤い日傘だのが、右にも左にもちらつくんだ。が、お・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・「広岡先生が上田から御通いなすった時分から見やすと、御蔭で吾家でもいくらか広くいたしやした」 こう内儀さんも働きながら言った。 そのうちに学士の誂えた銚子がついて来た。建増した奥の部屋に小さなチャブ台を控えて、高瀬は学士とさしむ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・あらゆる直接経験から来る常識の幻影に惑わされずに純理の道筋を踏んだのは、数学という器械の御蔭であるとしても、全く抽象的な数学の枠に万象の実世界を寸分の隙間もなく切りはめた鮮やかな手際は物理学者としてその非凡なえらさによるものと考えなければな・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・そしてすべての人心の所得をその真の源まで追跡する事が出来たら、この世界がいちばん多くの御蔭を蒙っているのは、最も独創力のある人々であった事を発見するだろう。またそういう人々がその生活の日ごとに、人類から彼等が負う負債を増しながら、同時に同胞・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・一定の位置並びに寒暖計の示す温度において測った金属棒の長さは、不可測的の雑多な微細な原因のために、種々異なる価を与えても多数の測定の平均はある程度まで一致すると考えられるのはやはりこの偶然の御蔭である。こういう風に考えれば長さという言葉の意・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・フレデリック大王伝の御蔭と見える。細君の用いた寝台がある。すこぶる不器用な飾り気のないものである。 案内者はいずれの国でも同じものと見える。先っきから婆さんは室内の絵画器具について一々説明を与える。五十年間案内者を専門に修業したものでも・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・もっとも私がこの和歌山へ参るようになったのは当初からの計画ではなかったのですが、私の方では近畿地方を所望したので社の方では和歌山をその中へ割り振ってくれたのです。御蔭で私もまだ見ない土地や名所などを捜る便宜を得ましたのは好都合です。そのつい・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・倫敦で池田君に逢ったのは、自分には大変な利益であった。御蔭で幽霊の様な文学をやめて、もっと組織だったどっしりした研究をやろうと思い始めた。それから其方針で少しやって、全部の計画は日本でやり上げる積で西洋から帰って来ると、大学に教えてはどうか・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・自分に利用するのは養子の権利かも知れないが、こんなものの御蔭を蒙るのは一人前の男としては気が利かな過ぎると思うと、あり余る本を四方に積みながら非常に意気地のない心持がした。『東洋美術図譜』は余にこういう料簡の起った当時に出版されたもので・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
・・・学者のやる統一、概括と云うものの御蔭で我々は日常どのくらい便宜を得ているか分りません。前に挙げた進化論と云う三字の言葉だけでも大変重宝なものであります。しかしながら彼ら学者にはすべてを統一したいという念が強いために、出来得る限り何でもかでも・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
出典:青空文庫