・・・日本軍が撤退すると、サヴエート同盟の経済力は、シベリアにおいても復旧した。社会主義的建設が行われだした。シベリアで金儲けをしようとする人間は駆逐された。それでも深沢は、どこまでもシベリアに喰いさがろうとした、黒竜江のこちら側へ渡った。火酒の・・・ 黒島伝治 「国境」
大学の池のまわりも、去年の火事で、だいぶ様子が変わってしまった。建物などは、どうでもなるだろうが、あの古い樹木の復旧は急にはできそうもない。惜しいものである。それでも、あの大きな木が、全部は焼けなくてしあわせであった。たと・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・それがこのごろでは、国民思想涵養の一端というのであろうか、警察の許可を得て、いつのまにか復旧されて来たように見えるのである。 H温泉旅館の前庭の丸い芝生の植え込みをめぐって電燈入りの地口行燈がともり、それを取り巻いて踊りの輪がめぐるので・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・ 三島の町の復旧工事の早いのにも驚いた。この様子では半月もたった後に来て見たらもう災害の痕跡はきれいに消えているのではないかという気もした。もっと南のほうの損害のひどかった町村ではおそらくそう急には回復がむつかしいであろうが。 三島・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・静岡の復旧工事の応援に出かけるらしい。三等が満員になったので団員の一部は二等客車へどやどや雪崩れ込んだ。この直接行動のおかげで非常時気分がはじめて少しばかり感ぜられた。こうした場合の群集心理の色々の相が観察されて面白かった。例えば大勢の中に・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・関東震災後の復旧測量では毛無山頂上で二十八日間がんばって天城山の頭を出すのを今か今かと待っていた人がある。古いレコードでは七十日というのさえある。 測量を始める前にはまず第一に三角点の位置を選定する選点作業が必要である。深山の峰から峰と・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・もう少し文化が進んで小屋を作るようになっても、テントか掘っ立て小屋のようなものであって見れば、地震にはかえって絶対安全であり、またたとえ風に飛ばされてしまっても復旧ははなはだ容易である。とにかくこういう時代には、人間は極端に自然に従順であっ・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・その指令三百十一号には、突発事故が起きたらできるだけ復旧事務を拒否せよ、民同との摩擦を回避せよ、などという文句があったそうです。北海道に偽の指令が流れたことがあった。この指令もおそらくどこかの家宅捜索をすれば、「そこにもあった」ものとして発・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
出典:青空文庫