・・・ 青磁の徳利にすすきと桔梗でも生けると実にさびしい秋の感覚がにじんだ。あまりにさびしすぎて困るかもしれない。 青磁の香炉に赤楽の香合のモンタージュもちょっと美しいものだと思う。秋の空を背景とした柿もみじを見るような感じがする。 ・・・ 寺田寅彦 「青磁のモンタージュ」
・・・「この間評議会で君の破れ徳利が出たよ」と云ったそうである。これが音響に関するレーリーの研究の序幕となったのである。彼が音響の問題に触れるようになった動機は、ある先生から是非ともドイツ語を稽古しろと勧められ、その稽古のためにヘルムホルツの T・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・例えば徳利のようなものであります。徳利自身に貴重な陶器がないとは限らぬが、底が抜けて酒を盛るに堪えなかったならば、杯盤の間に周旋して主人の御意に入る事はできんのであります。今かりに大弾丸の空裏を飛ぶ様を写すとする。するとこれを見る方に二通り・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・新造の注意か、枕もとには箱火鉢に湯沸しが掛かッて、その傍には一本の徳利と下物の尽きた小皿とを載せた盆がある。裾の方は屏風で囲われ、頭の方の障子の破隙から吹き込む夜風は、油の尽きかかッた行燈の火を煽ッている。「おお、寒い寒い」と、声も戦い・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 台所では皿徳利などの物に触れる音が盛んにして居る。 見る物がなくなって、空を見ると、黒雲と白雲と一面に丑寅の方へずんずんと動いて行く。次第に黒雲が少くなって白雲がふえて往く。少しは青い空の見えて来るのも嬉しかった。 例の三人の・・・ 正岡子規 「飯待つ間」
・・・ 一升徳利に二升入らない通りに、栄蔵の心は、これ以上の心配を盛り切れない状態にあった。 お君を迎えに田舎に行った時に会った栄蔵と今の栄蔵とは、まるで別人の様に、恭二の眼にうつった。 急にすっかりふけてしまって居る。 前にもま・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・世界のどこの反ファシズム文学者の会合に、そこに集ったひとたちの日常に不足しているとも考えられない一本二本の徳利がなければ座がもちにくいと考えられたためしがあったろう。 しらふであればこそ、ファシズムに対する抵抗のプログラムも語るに価する・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・ところが「その女の足ときたら――太くてまるで撫で肩の徳利を逆にしたようだ。」 時によると、女客が仰山な声で、「あら、いやだ。擽ったいわ!」などと叫んだ。「どう致しまして! これは……その、丁重に致しましたんで……」 或る・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・富田君の処の徳利は片附けてはいけない。」「いや。これを持って行かれては大変。」富田は鰕のようになった手で徳利を押えた。そして主人にこう云った。「一体御主人の博聞強記は好いが、科学を遣っているくせに仏法の本なんかを読むのは分からないて・・・ 森鴎外 「独身」
・・・そして晩になると、その一合入りの徳利を紙撚で縛って、行燈の火の上に吊るしておく。そして燈火に向って、篠崎の塾から借りて来た本を読んでいるうちに、半夜人定まったころ、燈火で尻をあぶられた徳利の口から、蓬々として蒸気が立ちのぼって来る。仲平は巻・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫