・・・神聖月曜日にも聖ルフィノ寺院で式があるから、昨日のものとは違った服装をさせようという母の心尽しがすぐ知れた。クララは嬉しく有難く思いながらそれを着た。そして着ながらもしこれが両親の許しを得た結婚であったならばと思った。父は恐らくあすこの椅子・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・戦地の寒空の塹壕の中で生きる死ぬるの瀬戸際に立つ人にとっては、たった一片の布片とは云え、一針一針の赤糸に籠められた心尽しの身に沁みない日本人はまず少ないであろう。どうせ死ぬにしてもこの布片をもって死ぬ方が、もたずに死ぬよりも心淋しさの程度に・・・ 寺田寅彦 「千人針」
・・・戦争でなくても、これだけの心尽くしの布片を着込んで出で立って行けば、勝負事なら勝味が付くだろうし、例えば入学試験でもきっと成績が一割方よくなるであろう。務め人なら務めの仕事の能率が上がるであろう。 一針縫うのに十五秒ないし三十秒かかるで・・・ 寺田寅彦 「千人針」
・・・第二の若僧 どう遊ばしてでございます、 せっかく煎じて参りましたのに――法王 心尽しは、存じて居る。 私の召されるのは必ず、今日に違いないと申す事を、わしは知ったのじゃ。 今まで、授かった、安らかな、快い眠りは、神のやさ・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・女房は夫の詞を聞いて、喜んで心尽くしの品を取り揃えて、夜ふけて隣へおとずれた。これもなかなか気丈な女で、もし後日に発覚したら、罪を自身に引き受けて、夫に迷惑はかけまいと思ったのである。 阿部一族の喜びは非常であった。世間は花咲き鳥歌う春・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫