・・・この稀な大暑を忘れないため、流しつづけた熱い汗を縁側の前の秋草にでも寄せて、寝言なりと書きつけようと思う心持をもその時に引き出された。ことしのような年もめずらしい。わたしの住む町のあたりでは秋をも待たないで枯れて行った草も多い。坂の降り口に・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・しかしこればかりでは地球がいやでも西から東に転ずるのと少しも違ったところはない、徹した心持がない、生きていない、不満足である。そこでいろいろ考えて見ると、どうもやはりその底に撞きあたるものは神でも真理でもなくして、自己という一石であるように・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・男等は皆我慢の出来ないほどな好い心持になった。 この群のうちに一人の年若な、髪のブロンドな青年がいる。髭はない。頬の肉が落ちているので、顔の大きさが、青年自身の手の平ほどに見える。この青年がなんと思ったか、ちぢれた髪の上に被っていた鳥打・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ ウイリイはちゃんと犬から教わっているので、ほかのかせより心持色の黒いのをより出し、ポケットからナイフを出して、そのかせを二つにたち切ろうとしました。そうすると、王女はあわてて姿をあらわして、「それを切られると私の命がなくなります。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・今お前さんのそうしてつくねんとしているところを見ると、わたしその連中を見た時のような心持がするわ。今になって思って見ればね、お前さんはあの約束をおしの人を亭主に持った方が好かったかも知れないと思うわ。そら。あの時そういったの・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・小猫などは、折さえあると夜昼かまわずスバーの膝にとび上り心持よさそうに丸まって、彼女が柔かい指で背中や頸を撫で撫で寝かしつけて呉れるのを、何より嬉しそうにします。 スバーは、此他もう少し高等な生きものの中にも一人の仲間を持っていました。・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・女房はこの出来事に体を縛り付けられて、手足も動かされなくなっているように、冷淡な心持をして時の立つのを待っていた。そして此間に相手の女学生の体からは血が流れて出てしまう筈だと思っていた。 夕方になって女房は草原で起き上がった。体の節節が・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・紐をからんでいる手の指が燃えるような心持がする。包みの重りが幾キログランムかありそうな心持がする。ああ。恋しきロシアよ。あそこには潜水夫はいない。町にも掃除人はいない。秘密警察署はあっても、外の用をしている。極右党も外国の侯爵に紙包みを返し・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・一つは年の若かったせいでもあろうが、その時の心持はおそらくただ選ばれたごく少数の学者芸術家あるいは宗教家にして始めて味わい得られる種類のものであったろう。三 アインシュタインの人生観は吾々の知りたいと願うところである。しかし・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ するうち二人とも横になって、いい心持にうとうとしていた。 辰之助が来たのは、山の上に見えた日影が、もうだいぶうすれたころであった。「大掃除はどうかね」「やがて片づくでしょうが、今東京から電報が来まして、りいちゃんが病気だそ・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫