・・・今この陬邑に在って予を見るものは、必ずや怨えんたい不平の音の我口から出ぬを知るであろう。予は心身共に健で、この新年の如く、多少の閑情雅趣を占め得たことは、かつて書生たり留学生たりし時代より以後には、ほとんど無い。我学友はあるいは台湾に往き、・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ 文章を愛好する人はこれを見て、必ずや憤慨するであろう。口語体の文は文にあらずという人はしばらくおく。これを文として視ることをゆるす人でも、古言をその中に用いたのを見たら、希世の宝が粗暴な手によって毀たれたのを惜しんで、作者を陋とせずに・・・ 森鴎外 「空車」
・・・ お佐代さんは必ずや未来に何物をか望んでいただろう。そして瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか。その望みの対象をば、あるいは何物ともしかと弁識して・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫