・・・ 六月といえば、大阪に二回目の大空襲があった月で、もうその頃は日本の必勝を信ずるのは、一部の低脳者だけであった。政府や新聞はしきりに必勝論を唱えていたが、それはまるで低脳か嘘つきの代表者が喋っているとしか思えなかった。 国民の大半は・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・けれども私は、日本必勝を口にし、日本に味方するつもりでいた。負けるにきまっているものを、陰でこそこそ、負けるぞ負けるぞ、と自分ひとり知ってるような顔で囁いて歩いている人の顔も、あんまり高潔でない。 私はそのように「日本の味方」のつもりで・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・たとえばこれを懐中しているとトランプでもその他の賭博でも必勝を期することができるというのであったらしい。もちろんこの効験は偶然の方則に支配されるのである。「丸葉柳」のほうはどんな物だか、何に使うのか、それについては自分の記憶も知識も全然・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・いわんや必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるにおいてをや。然るを勝氏は予め必敗を期し、その未だ実際に敗れざるに先んじて自から自家の大権を投棄し、ひたすら平和を買わんとて勉めたる者なれば、兵乱のために人を殺し財を散ずるの禍を・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
出典:青空文庫